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拝啓、みこと心理臨床処 様

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2023年から始まったみことスタッフ3名によるリレー方式の往復書簡コラムです。 みこと心理臨床処の雰囲気を、皆様に、感じてもらえたらと思います。
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#文責MC

こころってなんだ?

「心とはなんぞや」とは、また大きな問をぶつけてきましたね。 見ることも、触ることも、質量を測ることも出来ない、つまり存在を科学的に証明することが出来ない「心」というものを、在ると仮定して、測り、分析し、学問にしよう、という、心理学の始まりからして、「心」とは明確に定義が出来ないものです。(操作的定義は色々とあるでしょうが) けれど、我々は「心」の存在を、難なく信じることが出来ます。それは、「心」は痛んだり、高鳴ったり、弾んだり、張り裂けたり、晴れたり、沈んだり・・・ 

後ろめたくて寂しい日

友がみなわれよりえらく見える日よ・・・ ええ、ええ、私にも覚えがあります。同窓の友人たちが仕事でどんどん活躍したり、海外に留学したりしていく中、自分は・・・ と。 自分が怠けているように感じるとき、他人のほうが自分よりずっと頑張っていると思うときも、恥ずかしくて頑張っている人の前に出られないような気持ちになりますね。 私は、自分の子ども達が小さいとき、育児と家事で手いっぱいで、社会で活躍する友人たちと比べて「なんでもない」自分が、かなり、後ろめたくて寂しかったです

苦手な人

お返事ありがとうございます。波長、リズム、テンポ。それぞれ経験によって培われた感覚によって、言葉にならない相手の特徴を掴んで、合わせていくスキルを持っているようですね。 先週のコラムで、相手のテンポが分かることを「特殊能力」と言っていましたが、これで言うと私の特殊能力(笑)は、相手がちゃんと説明できなくても、言いたいことを概ね理解できる、だと思いました。 心理職を目指す前からの特技で、特に「あれ、これ、それ」と指示語ばかりの人と、あまり苦もなく会話が出来ます(笑) 相

五感スイッチ

 力んでいるつもりは無くても、知らぬ間に肩に力が入ってしまうのかも知れませんね。ふと気づいて深呼吸をすると、吐き出す息と一緒に力が抜けて、心地よいことに気づきます。  肩に力が入って硬直してしまうときって、なんとなくですが、頭でっかちになっているときのような気がします。つまり、思考優位で「考えてばかりいる」とき。デスクワークもそうですし、人の目が気になって緊張しているときも、相手からどう見られるか、自分はどう振る舞えばいいか、ずっと考えていますよね。やらなければいけないこ

Message in a bottle

普段のおしゃべりは、いつまででも続くのに、リレーコラムになるとつい筆が止まるのは、我々3人、案外シャイなのか、怠惰さ故なのか。 さて、気がつけば夏真っ盛り。太陽が東の空にあるうちから、じりじりとアスファルトの道路を焼き、熱気が地表を覆い尽くす。路地裏の野良猫も、あまりの暑さにじっと息を潜めているのに、庭の雑草は信じられないほどの生命力でボウボウと伸びている。 子どもたちにとっては、待望の夏休み突入、である。が、現実には、夏休みを待ちわびている子どもばかりでもない。 ス

結論は先延ばしで

宮沢賢治は「ほんとうのこと」を知っていたかどうかだって? うーん、全然分からない、ごめん。『銀河鉄道の父』(門井慶喜 講談社)も映画化されたし、タイムリーな人であるけど、残念ながらほとんど読んだことがない。 最初に読んだのはもちろん、児童文学である「注文の多い料理店」だったが、あまり好きにならなかった。次に目にしたのが「グスコーブドリの伝記」。全体に漂う暗い雰囲気が好きにならず、「セロ弾きのゴーシュ」はアニメで見た記憶がうっすらある程度、その後は宮沢作品は手に取っていない

ひとり時間 ひとり旅

「誰かのために整えること、一人でいること」は、イイねを押したくなるくらい同意だ。私にとっても、三茶庵でのひとり時間は心地よい。みことの仲間がいると分かっていて、会いに行くのもとても楽しい。そういう意味でもサードプレイスかなと思う。私の場合、三茶庵ではひとりで仕事をする時間が多くて、その次が勉強時間で、なかなかのんびりすることに時間を使えてないなーと思うのだけど。 そんな三茶庵でのひとり時間の話から、ひとり旅の話にしてみよう。つい先日、とある学会に参加するために広島県福山市

手紙についてのあれこれ

愛をこめてお手紙を。手書きの手紙はやっぱりいいよね。 源氏物語の世界を思いだす。どんな紙に書き、どんな枝や花に結んで届けるのか。手紙を開く前から、送り主の趣味嗜好、相手への思いが伺える。 最近読んだ自伝小説の主人公が、ある女性に一目惚れし、その人の連絡先を教えてもらうと、毎日、絵葉書にラブレターを綴り、まとめて届かないようにと毎日違うポストに投函するという下りがあった。絵葉書だから、長い文章は書けないだろう。短い文章に、思いを込めて、毎日途切れることなく、その人に向けて

チャットGPT

前々回のコラム文末で と書かれていたのだが、思春期って、多かれ少なかれ、誰もがこんな感じじゃないかなーと思う。 アンジェラ・アキさんの 手紙~拝啓、十五の君へ~の歌詞にもある。 特別過酷な境遇の15歳じゃなくても、同じように感じることがあると思うのだ。膨大なエネルギーを上手く操れずにいる年頃。 大人から見たら、よくある悩みだったり、そんなに深刻にならなくても良いようなことでも、誰にも話せない、親にも友だちにも理解されない、と思い詰めたりする。どう生きていいか、自

攻撃性スイッチ?

攻撃性の表出に、外向き(他害)と内向き(自傷)の2種類があると仮定して、それが入れ替わるスイッチが有るのでは?というお話でしたね。 そういうスイッチの存在を私は感じないのですが、見せかけ上のスイッチは学習と成長だろうと思います。 というのは、攻撃性の行方の話を聞いて一番に感じたのが、臨床フィールドの違いだからです。私が臨床で出会う中で一番若い層が高校生ですが、当然彼(彼女)らは、殴る蹴るといった攻撃性を学校で表出することはありません。街なかや友人関係の中で出す人もほと

遊びごころ

 私にとっての「遊び」ですか。子どもの頃は近所の路地や公園で、駆け回って遊んでいました。一輪車に乗ったり、鬼ごっこしたり、竹馬も得意でした。じっとして遊ぶときでさえも、泥だんごを乾いた砂で磨いて、ひたすら固くする遊びをしたなぁ。ううん、今では信じられないくらいにアウトドア派 笑    そうそう、だんだん思い出してきたぞ。「探検ごっこ」と名付けた遊びが好きでした。自分でつくったお弁当を持って、近所の友だちと、普段通らない知らない道をひたすらに歩き回る遊び。帰れるかな? 迷子にな

三茶徒然日記

それでは、比喩でつなげてみましょうか。 競技場のトラックを走るのだと思ってスタートを切ったら、いつの間にか競技場の外に出され、好きな方向に走ってください、と言われてしまいました。  競技場の中であれば、短距離でも中距離でも、あるいはリレーでもハードル走でもやるつもりでしたが、いきなり外に解き放たれて、走りなさい、と言われてもねぇ… ふうっと息を吐いて、空を見上げます。東京の空は狭いと言うけれど、それは高層ビルの立ち並ぶ都心の一部の話で、住宅街に入れば結構空が見えるもので

返信

前略。 お手紙ありがとうございます。 締切日ぴったりに原稿をあげて、意図せず無言の圧力をかけてしまった私が、お返事申しあげます。  さて、みことの3人の「甘え」についてですが、そういう視点で3人を眺めたことがなく、 『そこそこ良いバランスで「甘え」「甘えさせる」関係がうまく成り立っているのかなと思うのです。』 と言われれば、そうかもしれないな、くらいの感覚です。  私にとって「甘え」は家族や恋人のような関係でのみ発動するもので、友人関係でもなかなか、仕事の関係では