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蒼色の月 #81 「出会い」

出会いとは不思議だ。
もう駄目だと思った瞬間、本当の相手に出会えたりする。結城弁護士との出会いが、私にとってそれだった。
司法書士会会長の事務所を出ると、あたりはもう真っ暗になっていた。私はナビを頼りに、初めて走る道を結城弁護士事務所に向かった。その弁護士事務所は、街の中心部のビルにあった。
エレベーターに乗り、5階で降りると入り口に「結城美佐子法律事務所」という看板があった。
いよいよ来た。
どんな先生だろう。
果たして私の依頼を受けてくれるだろうか。
怖い先生だったらどうしよう。
ちゃんと喋れるかな。

インターホンを押すと、若い事務員が迎えてくれた。

「司法書士の会長さんのご紹介でまいりました。浅見麗子と申します」

「はい。伺っております。さあ、どうぞお入りください」

入ってすぐ、事務室らしき部屋には机が4つあり、その部屋を通り抜け、突き当たりのドアを開けると20畳ほどの広い部屋になっていた。部屋の一番奥に、大きなデスクがありそこに結城弁護士がいた。
私が入って行くなり、結城先生は立ち上がり私に歩み寄りながらこう言った。

「弁護士の結城美佐子です。浅見さんですね。お待ちしていました」

ゆるくパーマのかかった髪は、前髪を横に流したショートカット。紺のスーツに弁護士バッチがよく映える。堅い弁護士先生というよりは、女性特有のしなやかさを感じさせる印象だった。

「初めまして、私浅見麗子と申します。今日は突然すみません」

「隣市からいらっしゃったんですって?遠くから大変でしたね」

結城先生はそう言うと、私の背中に手を回し優しく触れた。その手の温かさを背中で感じた途端、私の目から涙が止めどもなく流れ出した。なぜ、こんなに涙が溢れて来るのか自分でもわからなかった。

この人ならきっと。
私はそう思った。

泣きじゃくる私を前に

「浅見さん、時間はどれだけかかっても構いません。時間はたっぷり在りますから、落ち着かれたら今までの出来事をゆっくりでいいので話してくださいね」

私は促されるまま椅子に座ると、今に至るまでの、出来事を事細かに話をした。メモを取っていた先生が、私の話が終わると言った。

「浅見さん、ここまでずいぶん頑張られたんですね。どんなにおつらかったか。並大抵の事じゃなかったですよね。これからは私と一緒に頑張りましょう。お子さん達を守れるのはあなただけです。だからもう一踏ん張り頑張りましょう。もちろん私も頑張りますから」

「引き受けてくださるんですか?」

手持ちのお金がないことも話をした。最初に言っておかなければならないと思ったからだ。司法書士の先生に、結城弁護士はとてもやり手で忙しい弁護士であることを聞いていた。

「もちろんです」

私は泣いた。
この1年、子供の耳に入ることを恐れ、夫の不倫問題を誰にも相談せず一人で悩み、一人で戦ってきた。困難を前に、孤独であることの恐ろしさを思い知った。やっとその孤独から解放される。暗闇に光が射したようだった。このとき先生は、私の戦いを援護射撃してくれる唯一の味方になった。なんでも包み隠さず話せる、唯一の人になった。

「先生、どうぞ、どうぞよろしくお願いします。私頑張りますからよろしくお願いします!」

「もちろんです。私も全力で頑張ります。早速ですが、まず、初めにお聞きしますね。麗子さんは離婚はどう考えていらっしゃいますか?」

「……」

私はどう返答したらいいか、わからなかった。

「麗子さん、私はあなたの味方です。私の前では良いことも悪いことも、どんなことでも気軽に気持ちを話していただいて大丈夫なんですよ」

そう言って、優しく私を見つめる先生の瞳があまりにも真っ直ぐで。

「ずっと、離婚はしたくありませんでした。子供達のためにも、自分のためにも。なんとか夫を取り戻して、元の生活に戻りたいと考えていました。でも先生…ここまでのことをされて、正直今からやり直すことは、もう難しいと思います」

先生は頷いた。

「だからといってこのまま、先方の計画通りに、先方の望むまま離婚してもいいものか。悔しい気持ちもあるんです」

「それはそうでしょう。なにも先方の要求通りに、はいわかりましたなんて離婚する必要はありませんよ」

「でも夫に私とやっていく意思がもうないのだから、私がいくら拒否したところで……」

「麗子さん、一つだけ覚えておいてくださいね。いくら向こうが離婚を求めてきても、離婚を決めるのはあなたです。向こうに決定権はありません。あなたに決定権があるということ、忘れないでくださいね」

「私に決定権があるんですか?」

「そうです。あなたが拒めば、先方が今の時点でいくら離婚を求めてきても離婚できません。離婚するかしないか決めるのは、あなたなんです。いつ離婚するかも、決めるのもあなたなんです。あなたが決定権を持っているんです。だからなんにも怖がることはないんですよ」

目から鱗だった。
私は夫も義父も女も怖かった。とてもとても、恐ろしかった。よってたかって容赦なく離婚を押しつけられ、私の気持ちとは関係なく、いつ離婚になるのか怖かった。まるで先方が、上位に立っているかのような錯覚に陥っていた。
でも違うんだ。
離婚の決定権は私にあるのか。
そうなんだ。

「麗子さん、離婚についてはなにも慌てることなんてないです。麗子さんは今後どうしたいのか、ゆっくり考えればいいんです。先方がなにを言ってきても、すぐに離婚になったりしませんから。考える時間はたっぷり在るんですよ。これから、ゆっくり麗子さんとお子さんたちの未来をどうしたいか考えましょう。まずは落ち着いて、先方がなにか言ってくるまで待ちましょうね」

「夫からも、義父からも女からも、離婚離婚と迫られていますが、今すぐ離婚しなくていいんですね?私のタイミングで私が決めていいってことですよね?」

「そうです。その通りです。だからあまり悲観したりしないでください」

「先生、よくわかりました。私、このままではなにも話もしないまま、すぐにでも離婚になってしまうんじゃないかと心配していました。私にじっくり考える時間があるなんて、思ってもいませんでした。ありがとうございました」

取りあえず、私の案件をお引き受けいただくということだけ約束してその日は帰ることになった。

「困ったことが起きたとか、先方がなにか言ってきたらすぐにご連絡くださいね。大丈夫ですから。麗子さんならきっと戦えます。ここまで一人で頑張ってきたんだもの。これからは、二人で頑張りましょう」

先生のその瞳の奥には、きらりと光る強さが見て取れた。
この人となら戦える。
私は根拠のない確信を得たのだった。

私は結城弁護士事務所を後にした。弁護士事務所から出てきたのは、もう夜の8時を回っていた。

来た時とは別人のように、私は先生から力をもらい前を向いていた。車に乗り込むと、私は慌てて子供達に電話を入れた。今日は用事で遠出しなくてはならないと子供達に言ってきていた。呼び出し音が鳴ってすぐ、電話が繋がった。
健斗だった。

「あ!お母さん?用事終わったの?今ね三人でテレビ見てるよ。夕飯はね、お姉ちゃんが冷凍チャーハン作ってくれてね。でもそれがびちゃびちゃでまずいの」

そうだ。この時間は毎週、子供達が楽しみにしているお笑い番組があるのだ。

「こらー健斗!まずいとはなんだー!」と美織。

「だってほんとにまずいじゃん」と健斗。

電話の向こうに、楽しそうな三人の笑い声が聞こえる。無邪気な笑い声が聞こえる。私はこれを失うわけにはいかない。絶対に私が守る。そのための味方を、私は今日得たのだから。

急いで帰ろう。愛する子供達が待つ我が家へ。私たち家族の家へ。




mikotoです。つたない記事を読んでいただきありがとうございます。これからも一生懸命書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!