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蒼色の月 #139 「ボタン(回想)」

二人が知り合った大学時代から、夫は友人が少ない人だった。
義父の事務所に就職してからは、その少ない友人とも疎遠になり、友と呼べる人がいなくなった。
誰かに飲みに誘われることもなく、遊びに誘われることもなく。
社員達とも、仕事の付き合いだけで仲良くすることが出来ず。
唯一の遊びのゴルフは、義父が義父の友人と行くゴルフに着いて行くだけ。
夫の生活はそんなものだった。

私も、友達が多い方ではないが、子供達のクラスの役員をしたり、学校行事や町内行事に参加したり、普通に生活しているだけだけど、仲良しや話し相手、たまにお茶をするママ友などがこの街にも少しずつ増えていった。

正直今振り返ると、このころの夫は寂しかったのではないだろうか。

子供が3人いると、保護者会で学校に行く回数も多い。

「たまにはそういうのにも、参加してみると意外と楽しいよ」

私は何度か、夫にそう勧めたことがあった。
しかし、人付き合いの苦手な夫はついに参加することは一度もなかった。
家族で囲む食卓では、自然と子供達から部活のこと学校のことなどの話が出る。

「今日ね、〇〇先生がね…」

その食卓で〇〇先生を知らないのは夫だけ。
そんなことが時々あった。
あの頃、仕方なくとは言え、いろんな場に出ていく私を夫はどんな気持ちで見ていたのだろう。
だんだんと、知り合いや仲良しが増えていく私を見ていて、どう思っていたのだろう。
これは私の考えすぎで、夫は全然平気だったのかもしれない。
でもちょっと、自分だけ置いてけぼりで寂しかったのかなと今になって思う。
がんとして言うことを聞かず、どんな行事にも参加しなかったのは夫の意思で自業自得なのだが。
自営業ということもあり、比較的時間に自由がきくからという理由で、私は次第に役員を任されるようになっていった。
その頃は人と付き合わない方が、夫はきっと楽なのだと、私は思っていたのだが。
夫は少なからず、たぶん、きっと、寂しかったんだろうなと今は思う。


夫が所長になってすぐの事務所の懇親会のときのこと。
社員5人に夫に私。
特別懇意にしている取引会社の担当が3人、合計10人での懇親会。
夫が始まりの挨拶をしてすぐ、怖い義父がいないのをいいことに無礼講となった。
小上がりの長いテーブルに、向かい合わせで10人。
お酒も進みふと気が付くと、テーブル半分に9人が集まり私もその中心にいた。
そして向こう端に夫が一人。
たった一人で手酌でお酒を飲んでいたのだ。
これはまずい…
そう思った私は、一番古株の社員木村にそっと耳打ちした。

「木村さん、所長ひとりになってしまったから、ちょっとあっち行って所長の相手してくれないかな。私が行ったんじゃ所長かっこがつかないでしょ」

「あっほんとですね。わかりました。私行きます」

木村はそう言うとお酒を手に夫の隣へ移動した。
ちょっとだけほっとした私。
その後も夫のそばには誰も寄りつかず木村と二人だけ。
夫は当時、社員達に嫌われてはいなかったかもしれないけど、間違いなく好かれてはいない。
そんな現実を目の当たりにした出来事だった。

所長になる前の夫が毎日話をするのは、仲良く出来ない社員達と義父とそして私だけ。
そんな夫の20年。
そんな中、私たちに子供が生れ、自動的に私が夫に構まう頻度が減り、寂しいなと思ったことはあながち離婚したいためだけの嘘とも言い切れないのかな。
今はそんな気がしている。

子供が生れて、俺はお前の一番ではなくなった。
夫は離婚したい理由をそう言った。
もちろん美加と一緒になりたいのは事実で、そのための口実であるのもわかってはいるが。あながちその理由も、全くの嘘でないのではないか。

人付き合いが嫌いじゃない私と、苦手な夫。
その点に関しては、まるで真逆の私たち。
あの頃、もうちょっと夫の気持ちを想像できなかったかと今になってふと思ったりする。
甘いだろうか。
もっとも、今さら考えても遅いのだが。

かと言って、彼が私たち親子にここまでやってきたこと、これからることはやはり到底許されるものではないのだが。

私たち家族。どこかでふと掛け違えたボタン。
もしその掛け違えがなかったら、今頃私たち家族はどんなふうになっていたかな。
きっとどこにでもある家族で、どこにでもいる親子で、どこにでもいる夫婦で。
ちっちゃなことで笑ったり、ちっちゃなことで喧嘩したり、ちっちゃなしあわせを積み重ね平凡に平穏に暮らしていたのだろうか。

当時は家事に会社に子育てに、私自身忙しくてそんな夫の気持ちを想像もしなかったのは事実で。

もっともっと、ちゃんと向き合って。
もっともっと、ちゃんと愛してあげれば良かったと、何年も何年も経った今思うのだ。

mikotoです。つたない記事を読んでいただきありがとうございます。これからも一生懸命書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!