見出し画像

モノを減らして気づいた

断捨離をしている方のYouTubeを観たり、本を読んだりしていると、モノを減らすと幸せになれるという共通の概念がある。

実家に戻ってきてから、外に働きに出ているわけではないのに毎日のように外出していた。家に居ると、ここで旦那が倒れたとか、以前は自分の自由に手芸をしたり出来たのに、今は家事を全部私がしなきゃいけないから、なかなか出来ないなとか、【ここに戻って来るまでは幸せだったなぁ】とネガティブ思考をぐるぐると展開してしまうからだ。しかし、最近は貯金を増やそうと試行錯誤している。「食料を買ってくる」という名目で毎日のように外出していては、交通費だって馬鹿にならない。そこで、1週間丸々外出しなかった場合、どれぐらい節約できるか実験してみることにした。

ところで去年母が入院した時に父(81歳)は、母と結婚する前から一人暮らしもしたことがなく、家事の一切をしてこなかったので、洗濯も食事の支度も出来なかった。おまけに、母が通院した病院から急に大きな病院へ救急車で転院になったことで、パニックになってしまったのか、保険の書類の場所をどこに置いたか分からないとか、入院の時に持っていくものが書かれた紙がどこにしまったのか分からないとか、電気代とかガス代などのライフラインの支払いがどうなっているのか知らないとか言っていてひとしきり大騒ぎした後、ぼーっとしてしまっていた。

その様子を側から見ていて、ああ、私の教訓を全く生かせてないな…と思った。私は、父と兄に、「エンディングノート」を書くように渡したのだが、父は全く書いていなかった。母は意識があったので、母が私に様々な事を指示してくれた。旦那が元気だった時には、それぞれの支払いがどうなっているかもお互いが分かっていたし私のスマホをテザリングしていたため、お互いのスマホにサブスクがあるものはどれかまでちゃんと共有できていた。私が多分「気丈に振る舞ってて驚いた」と色々な人に言われたのは、おそらく旦那とお互いの情報を共有していたからだろう。私も父のように家事や家計全て旦那にお任せにしていたとしたら、何も知らずにパニックになっていたと思う。

母が退院してからは、家族で情報を共有できるようにしようと考え、誰が見ても分かる化し、引き出しには何が入っているか、重要なものはどこにあるかをせめて分かるようにしようと思い、目下まずは自分のモノからモノを減らしていこうとしている途中なのだが、まぁ、次から次へと自分はよくこんなにモノを増やしてしまったなぁと思ってしまう。服や手芸の端切れや、読み終わった本や、いつまでも完成しないDIY用品や…それらを手放して気づいたことは、

私は今まで、十分に幸せだったなぁということだ。

気分が良くなるような服を着て、旦那と子供が帰って来るまで手芸をし、面白そうな本を読み、インテリアを自分で改造しようとしていた。それってずっと専業主婦になりたかった私が、ちゃんと専業主婦ができて、夢を叶えられたという事だ

そして寂しいけれど今はそれらが無くても生きていけるからだ。この先、どんな風になるのか分からないけれど、いつまたどこかへ行くかも分からないから、身軽に動けるように、少しづつ荷物を減らしていこう。

あの歌だけリュックに詰めて行けばいいもんね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?