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自分の名前が自分の好みすぎる話 後半

こんにちは。前回は自分の名前の漢字「未」が否定の意味の接頭語で、ネガティブな意味に捉えられがち、という話でした。

中学校1年生のときの担任が国語の先生で、こんなことを教えてくれたんです。

辞書を引いてごらん。

・「非、無、不」は、「...でない」「…しない」。

・「未」は、「まだ…でない」「まだ…していない」。

「まだ」が付いてくるのは、「未」だけ。「未」だけが、「可能性」を持っている、特別な接頭語なんだよ。

それを聞いた当時の私(中1)は、「え、なにそれ⁇なんかカッコイイ!自分の名前めっちゃカッコイイのでは⁇」的なノリで大層衝撃を受けました。

思えば、「未」だけが将来への可能性を持つ否定の接頭語であるということが、まるで暗い地獄の世界に秘められた唯一の希望の光、あるいは、大きな才能(世界救う系の)を隠し持っている冴えない見た目の漫画の主人公のように感じられたのでしょう。そういうお年頃だったのです。

当時の中二病的感性についてはさておき、私は性格的に自分に対しての自信が持てず、アイドルのようにカリスマ性があったり、ピアノやダンスが上手だったりと(自分から見て)キラキラして才能のある同級生たちと自分を比べているような子どもだったので、先生の「未」の話は、

「みんなが今、輝いていなくてもよい」といった考え方や、「あからさまにキラキラした希望でない、ありふれたものの中にある輝きを大切にする」というような価値観を持つきっかけになったと思います。

名前は必ずしもその人の生き方を決定づけたり、人となりを限定するものではないけれど、私の場合は、「完璧にキラキラ輝く自分よりも、落ち込んだり、悩んだりすることもあって、目立ないかもしれないけど、常に可能性を秘めた自分を目指す」という方向性が自分にとても合っていて、そんな価値観のきっかけになった自分の名前は、これからも愛着を持って使っていきたいです。


なんだかわかりづらい話になってしまいましたが、結局私って「ギャップ萌え」するタイプなんですね。ここまで書いてから思い出しましたが、否定の言葉なのに実は特別な意味があるって所に単純に萌えたっていうのが本音でした。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

おわり









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