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0文字の画面と向き合い続けること

2024年の5月は、毎日noteを書いてみるチャレンジをやった。半年ぶり3度目の挑戦だった。けっこう大変な試みだったが、やってよかったと思っている。

いつものことだが、書く側の苦しさも分かったし、自分の想定と読まれ方が必ずしも合わないのを肌で感じられたことが何より収穫だった。いろんな感覚が、たいへん鍛えられました。

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SNSで発信するというのは、「ごくちいさく出版する活動」の繰り返しだと思っている。どのアウトプットがどれだけ受け入れられたかを振り返ってみると、企画を立てる時の参考になると思う。

とはいうものの、読み手に寄り添った企画もおもしろいし、まったく意に介さず自分の書きたいものをただ書いたものも味があって良いなあと思う。好きにしたらいいのだ。やりたいようにやればいい。


結果、何が読まれたか

ということで、このnoteでは、やりたいようにやらせていただいた1ヶ月の取り組みを振り返ってみようと思う。にぎやかなエンドロールのように、ごく個人的でささやかなプロジェクトを〆ていきたい。

スキ数のベスト10はこんな感じ。

バラバラの内容なのが、自分らしいと思う。31日間でめいっぱいいろんな方向性を試した、というと聞こえがいいが、実際には自分のなかみを総動員しただけなのであった。空っぽの冷蔵庫から、どんな献立をつくるか。毎晩、夜中にうんうん唸っていた。

印象にのこったことをふりかえっていきたい。

あらゆる思い出を記録する

まずは初日に書いた人間ドックのnote。これは本当に書けてよかったと思っている。仕込みもなく、その日に起きたことだけで、たんたんと書いていく形式をずっとやってみたかった。

過去にも日記形式のものを書いたこともあったが、今回はとくに、書こうとおもって書けたのがよかった。なにせ病院なので、スマホを仕舞って受診していたのもあり、起きた出来事に集中できた。で、いかに普段は生活の中で起きることに集中できていないか、というのもはっきりした。おもしろい。

サンライズ出雲のnoteも書けてよかった。ケの出来事があれば、ハレの出来事もあり、それぞれが愛すべき日常で、ひとしく記録しておくことができたのがよかった。どっちも同じくらい大切なnoteになった。

書けない、書けない、書けない

とはいえ書けない日がほとんどなのであった。30日中、20日は、もう今日はだめだな、と思いながらnoteのエディター画面に向き合っていた。ハマっているゲームを30分だけやってみたりして、自体を悪化させることもよくあった。

書けない日は、いいわけのように少しだけメモを書いてお茶を濁すこともあったが、さすがに連発できないよね、ということで開き直って一気に書き上げたのが、5月28日にかいた「書けないことを書くという手もある」だった。

書けないとあきらめ、開き直って、「ギブアップ」ということばをだらだらと書いていたら数百文字になった。所要時間はものの5分くらいだった。しかし冒頭のランキングを見るとこれがなんと第4位にランクインしている。びっくりする。

やっぱり、何を書くかも大事だけど、そもそものこととして、文章に感情が入ってるのは大切なことだと思った。とくに「諦」の感情をすみずみまで表せたということか。

この食パンのnote(これも気に入っています)でもふれたけど、書けなかった、ということを書いたnoteが比較的よまれたことは「なにもない日はないのだ」という事実のたしかさを証明するような出来事だった。

悔しかったから振り返った

過去にもやったことがあるが、毎日かいていると、思ったより読まれてないnoteがきになるんですよね。目に付く。ああすればよかったかなー、という後悔を懺悔の形でまとめたnoteがこちら。

結果としては、これも結構読まれたのでした。書く時にどんなことを考えていたか、は新しくてホットな感情だから、書きやすいというのもあっただろうか。心の中の熱量が高いまま出せたのかも。ちなみに、これは初めてやったことではない。

去年の8月にもおなじ手口をはたらいていた。味をしめての第二弾なのであった。でも、読まれない悔しさというのは毎回しっかりと自分の身を焼くのだということも思い出せた。ひりひり。

1文字も書かれていない画面と向き合っている

ほかにも取り上げたい記事はたくさんある。仕事のことをまとめた記事も順調に届いたと思うし、買ってよかったものも安定の強さだった。書いててもたのしかった。

ところで、僕は、noteを書いている人どうしで交流したり、繋がり合うとき、その空気感が気持ちいいと思っているのだが、それは、どんな書き手も、まっさらな、1文字も書かれていない画面と向き合っているからだと思っている。

右上に、ぽつんと置かれた「0文字」の文字

根っこのところで、ゼロから書くことの重みを共有できているから、しぜんとリスペクトし合えるようなところがある。40歳を過ぎて青臭いことを言うようだが、けっこう本気で、そう思っている。

何が言いたいかというと、このチャレンジ中、わざわざ、読んだよとか、シェアしてくださったりしたことに、すごく励まされたということです。スキをつけてくださったのもうれしくて、いちいちアイコンを見に行ってしまいました。

また気が向いたらチャレンジしようと思います。それでは、また。

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