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「書けないことを書くという手もある」

ふと思い立ち、5月のあたまからnoteを書いてきた。いろんな種類の切り口で出すことができたと思う。もうだめだ、思いつかない、という日は「つぶやき」の機能で写真と100文字くらいでアップすることもあった。

毎晩23時半くらいまで書けなくて、そこから絞り出していく日々なのであった。滑り込むように23:59くらいにいったん記事を公開し、その後修正して24:30くらいに仕上げる。そんなことの繰り返しだった。

なぜそんなことをするのか、と訊かれることも少なくなかった。ひとつには広い意味での営業であり、友人知人への生存報告のためにやってきた。書く筋肉を鍛える意味もあった。

今夜、家の外には嵐が吹き荒れている。仕事が終わるのがだいたい22時半。そこから、夜の散歩に30分ほど出かけ、気持ちを切り替え、帰宅してから、たまっている原稿にとりかかっていく。でも、きょうは散歩することが叶わないので、これを書き始めた。

5月。あと4日を残して、もう全然、なにも思いつかなくなってしまった。去年の8月や11月に同じトライをしたことがあったが、ここまで思いつかなくなることはなかった。

やるべきことは同じテンションでずっとあるから、今このタイミングで忙しさが特に加速した、というわけでもない。仕事の中長期的なようすでいえば、今、とても面白い時期であり、精神的に追い詰められているとかでもなさそう。

なので、明確な原因はよくわからないけど、まあとにかく、noteに書くことを思いつかなくなってしまったのでした。そんなに悲観もしていないですが。

かつて、noteの勉強会の講師をしたときに、書けなくて、と相談される方に「書けないということを書くのもありだと思いますよ」と返事することが、過去に何度かあったと記憶している。

それを思い出し、この文を書いている。誰かのコンテンツに口出しをする立場だが、書けない日は書けないのだ。みなさん今日もおつかれさまです。

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