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History#1 英国からの帰国子女

わにぶちみきは英国からの帰国子女です

わたしが初めて渡英したのは14歳のころでした。父の仕事の都合で家族いっしょに3年という期間限定で英国に滞在します。進学の都合もあり2年と少しで単身帰国しますが、この英国滞在期間でわたしは日本の美術教育では得られなかった、わたしの芯をかたち作る大切な経験をします。


現地校での「ART」の授業

厳密には、選択していた「Textiles」(織物)の授業でのお話です。
※中学生でしたが、必須教科以外の授業のコマは大学生のように選択制でした。「Art(美術)」と「Textiles(織物)」と「Music(音楽)」、「Keyboard(パソコンのキーボード・時代を感じます)」「Sports(体育)」「Japanese(日本語・笑)」なんかを選択していました。

その日からは「ネイティブ・アメリカン」、日本語で言うところの“インディアン”(アメリカの原住民でインド人ではない)をテーマにした作品をつくるターンに入りました。最初の2時間はネイティブ・アメリカンの生活や歴史、伝統的な衣装、現在の暮らしなどをまとめたビデオを皆んなで観ることから始まります。「Textiles(織物)」の授業なので、生活のなかの伝統的な衣装やタペストリー、絨毯などにクローズアップはされるのですが、侵略や迫害の歴史もふくめた背景を知ることから始まったのには子ども心にとても驚きました。まるで社会科の授業のようだったからです。

そのあと、「ビデオを観てどう思った?」などの簡単なディスカッションをして制作につづいていきます。侵略について感想を言う子もいれば、馬に乗ったインディアンがカッコイイ、あのスカートみたいなのの模様が好きだった、なんでも発言は許されるんですよ。
そして、制作準備。「織物をしたい人は、こんな材料があって、こんなことができます」「染めたい人は、これとこれの方法があって、布は絹とか綿とか、この中から探してね」と少しだけやって見せてくれます。大きさや材料は好き好き、ここに無いものはお父さんお母さんに買ってもらってね(ここにあるものは無料ですよ)と、制限されることがない。

そして、重要なこととして、“ストーリーボード”と呼ばれる“その作品をつくろうとおもった思考の設計図”のようなものを作らせること。印象に残った映像をスケッチしたり、模様を何パターンも集めて描いてみたり。当時、英語はほとんどできなかったので多少の誤解はあるかもしれませんが、何をさせているのか、何をすべきなのか、は、洋々として広がるわくわくとともに非言語としてわたしの中に染み込んできたのでした。

それまでの日本の授業では、年度の最初に買わされた12色の水彩絵の具を使って「学校のまわりの風景をこの四つ切りの用紙に◯週くらいで描きましょう」だとか、まず(のちに請求される)材料キットを渡され「完成予想図はこんなものになります。下絵を好きに考えましょうね」だとか、決まった大枠のなかで(その枠さえも小さいのですが)、クリエイティビティを発揮できるのはほんの僅かな部分だけでした。

ところがどうでしょう。英国式の授業は、サイズも材料も、何をどう作るのかも、選択肢は(ほぼ)無限大! そして、それを選んだ理由も仕上がりの出来不出来も否定はされません。その作品をつくるに至ったじぶんの興味の積み重ね方、目のつけどころを評価され点数が付くだけです、笑


わたしの芯をかたち作るもの

「Textiles(織物)」の授業にかぎらず、「Art」や「Music」の授業も同じような考え方で進んでいました。作曲を生まれてはじめてやったのも、それでかろうじて単位を取れたのも、よい思い出です。

自然のゆたかな田舎に住んだことも、わたしにはよい方向へ作用しました。何より、じぶんの好きなARTのなかで解放されたことは、現在につづくわたしの創作の芯をかたち作ったかけがえのない経験です。


日本人補習校 創立20周年記念誌への寄稿

「かたちづくるもの」

 イギリス滞在が一年を過ぎた頃、毎週土曜日は私の唯一の楽しみになっていた。父親の運転で姉弟三人、一家総勢五人は補習校へと向かう。思い通りにコミュニケーションが取れない現地校でのまいにち、宿題にかかる時間の長さ、そんなことから一瞬逃げられる一日だったからだ。

 帰国して十三年、イギリスでの辛い思い出なんて実は、ない。あんなに帰りたいと思った日本で私は、あの頃のあの場所をくり返しくり返しやわらかい光のなかに思い出すのである。広々とした庭、緑に囲まれた風景に飛び跳ねる灰色リス、落ち着いた時間の流れ。日本の寒く冷たい冬の雨やオレンジ色の朝靄のなかにさえ、あの国の匂いを思い出すのです。懐かしい。それだけでは収まらない気持ちがある。あの頃は、心の範囲が今より遥かに広かった。思い返せば、なんて自由に詩を書き、絵を描き、音楽を聴き、歌っていたことだろう。滞在した二年と少しは、ほんのわずかな日々だったけれど、私の芯を形作る大切な月日だった。

 イギリスでの経験は、今の私の創作活動に大きな影響を与えていると思う。世界は広いということ、まだ自分の知らない色があるということを知った。無性にあの国に帰りたいと今になって思い、私は留学という形でイギリスに帰ることを決めた。新しい引き出しをいっぱいにするために、新しい人と出会うために。あの独創的で柔軟な国は、きっと私をまた大きくしてくれると信じている。

(一九九五年〜一九九七年在学 日本在住)

わにぶちみき寄稿 創立20周年記念誌 平成23(2011)年 6月発行


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