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#9 きづき

(上の写真は、何に見えますか??
 正解は、このコラムの一番下へ!⭐️)


何故、
ここまで自分に鞭を打って頑張ってきたのか?
自分の限界を迎えても突き進もうとしたのか?

                  負けたく無い。

       女を使って仕事をしていると思われたく無い。

             弱弱しく誰かに頼りたく無い。

   誰からも認められるように、しなやかに強くありたい。

「男の子が欲しかったから、
3人も頑張った(でも3姉妹だった)」

(私は三女です)
小学校低学年の宿題で、自分が生まれたときの感想を親に聞いてくること。そんな感動的なはずの一場面が突如、絶望と失望、そして虚無となり、知らぬ間に、これまでの私を形造ってきたのかもしれない。

                  
                 負けたくない。



私のこれまでの原動力は、ただ、それだったのかもしれない。


原因は、私の性分にもあり、ただ自分の知的好奇心を満たす旅に出ていたからでもあり、
決してこれだけでは無いが。

よく昭和時代には?あったと思うのだけれども、何かあったら、「あんたは〇〇川の橋の下で拾ったんや」とか、それを本気にして「わたしにも、きっと足長おじさんがいて、いい家に迎えられるんだ!」なーんて幼少期は思っていたりした、苦笑。


両親には心より感謝している。愛情を深く注いでもらったからこそ、私はこれまで自由に、思うがままに、
「あんたは、”糸の切れた凧”やな。」と母に言わしめるまで、自分の考えで、自分の人生を、自分の好きなように進めてこれた。

自分自身を許容できてから、穏やかに、このことも少し話をした。

「仕事ばっかりで、幼い頃のお前たちの成長を覚えていないことだけが、心残りだ。」

私たちのために、仕事も掛け持ちして一生懸命育ててくれたのは知っていた。父も母も、いつもお腹いっぱいに美味しいご飯を食べさせてくれて、たくさん家族キャンプにも連れて行ってくれて、だからこそ、私は感受性豊かに育ったのだろう。

だけど、そんな事を思っていたなんて。

一方で、そんなこと知らない、知り得ない私は。

自分を否定しながら生きてきたのかもしれない。

周りから否定や拒否されることに対して異様に敏感になり、

どんな些細なことでも、否定されまい!と

過剰反応で攻撃的になっていたのかもしれない。

(弱さを見せれば、攻撃される!

貸しをつくれば、付け込まれる!怖い!)


そんなことを思いながら、生きてきた。

そして、

ある時に、ぷつっ、と切れた。

もう、自分のためには走れない。

と思った。

プレッシャー、そして、燃え尽き症候群でもあったと思う。

ただ、

もう、自分を必要以上に周りに見せる必要はない。

気づいた。世界はこんなにも世知辛いし、
それは確かに、そうではあろうが。

      エゴだと言って、人生を辛く悲観しているのは、

         自分自身以外の何者でもないのでは?

もう、十分に、わたしの分相応を超えて、
二万パーセントは頑張った。

やり切った。

もう、わたしで居ていいだろう。

もう、無茶苦茶に無理する必要は無い。

もう、考えすぎて気を回しすぎて、空回りするのも飽きてきたぞ。

もう、充分だ。

これからは、違う原動力で。

ありのままの、

私らしい、わたし のままで。


ツリー🎄に模した鴨肉🦆でした!


Best wishes and Happy Holidays ;D

Sincerely,
Mikity


(The copyright of this content belongs to Mikity - the writer)

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