イベントも展示も、撤収は一瞬。切なさと、サバサバ感と。【美術館再開日記24】
これまた多くのクリエーションの現場で体感されていると思うが、「終わり」を迎えた時の感覚。全てのものは終わってゆく、自分たちでつくったものを自分たちで壊して、きれいにかたづけて次に譲る、という切なくサバサバした、あれである。「壊す」、というのは本の現場では起こらないかもしれないが、展覧会や舞台などの空間は、つくっては壊して次に譲る、を繰り返す。まさに無常。頼れるのは人の記憶に刻まれることと、映像か写真か文章で残すこと。展覧会担当者にできることは後者だ。この儚さに耐えられないから、必死でカタログを遺す。遺品である。
展覧会や手の込んだパフォーマンス・プログラムを終えると、文字どおり旅からもどったような疲れに襲われる。「作品のない展示室」、そしてそのクロージング・プロジェクト「明日の美術館をひらくために」を終えたときはひときわそうだった。プロジェクト参加者のアーティストや館内スタッフが全員退館し、最後にひとりで展示室を回り、映像の電源をひとつずつ落としていくときに、写真を撮った。この風景はもうなくなる。いつものことだが、いつもそう思う。
美術館再開74日目、8/27、豪雨と晴天。最終日。
都内コロナざっくり300人。
「作品のない展示室」閉幕。
「明日の美術館をひらくために」無事終了。
雷雨は来なかった。
終了直後は妙にさばさばと
こんなもんかな、などと平静を装っていて
そのことに自分でも一瞬騙される。が、
出演者たちを見送り会場を閉じ雑務を片付けて
帰りのバスに乗り駅に着いたとたん、
これから空港に向かうのだという錯覚が
視覚や嗅覚や疲労感なんかで全身を覆っている。
くたびれたスーツケース引きずって
時差ボケでトランジット。のあの体感である。
少しずついろんなことが鮮やかに過去になる。
旅先で出会ったあの人この人の表情。
ぜんぶ夢だった。みたいな。
ありがとうございました。
明日の朝から会場を撤収します。
もともと何もない。そこの窓を塞ぐ。
映像機器外してチラシの展示ケースどかして
終わり。
美術館再開75日目、8/28、猛暑&湿気。瞬殺で撤収。
都内コロナ200人以上。安倍首相辞意表明。
朝9時半から「作品のない展示室」撤収と、
9月からの展覧会の準備。
10時半に見に来たら
もう窓は閉じられ
可動壁が2枚ほど引き出され
展示台の塗り替え準備が着々と。
「やっと普通に戻ったね」と
安堵の笑顔を見せる同僚がいる。
今まではやっぱり異常だったよ、と。
そうだねえ、でも普通って
いったいなんなんだろねえ。
と思わず言ってしまった自分。
黙る同僚。
誰もがそれぞれの「美術館」像を持っている。
そのことをも浮き彫りにしたのが
「作品のない展示室」。
あれをなかったことにして
今までどおりに展覧会を考えたい人、
あれをやっちゃったあとで
展覧会をどう考えるか
ちょっと迷うなぁという人、
明確に考えることまではできなくても
肌感覚で空間をつかまえるきっかけを掴んだ人、
これからいろいろ見えてくると思う。
などと偉そうに言ってる場合では全くなく、
実は私は年明け1月からの展示で
この空間を任されているんである。
言い渡されたお題は魯山人とルソー。
なんと当館の二大目玉コレクションではないか。
企画会議の席上、
なんで私が、という顔をしたら
「あなたヒマなんだろ」と積丹センセイ(=館長)。
アフリカとか写真とかで勘弁してくださいよ。。
(私が提案したのは写真展だった!!)
さー困った。
ちょっとだけ休んでから考えます。
もしサポートいただける場合は、私が個人的に支援したい若手アーティストのためにすべて使わせていただきます。