再開最初の3日間。観察する、走る。【美術館再開日記2】
壊れてしまう、という皮膚感覚ー再開直前
緊急事態宣言後の在宅勤務中、ウィルスへの恐怖に苛まれつつ「これをくぐり抜けたら自分のフィールドから社会を再起動するんだ!」などと勇ましく決意したものの、すぐに具体的にできることがない。と思ったのはほんの一瞬で、4月末から総務部・学芸部のマネージャー(私はそのひとりで、企画展関係の諸事を預かっている)がそれぞれの事業の再開計画づくりに着手し始め、5月半ば、その全体像が見え始めたとき、かなりのショックとともに、自分のやるべきことが見えた。
コロナウィルスの蔓延という状況にどう対処するか、その方法と発想にはそれぞれの社会で優先される価値体系が染みついている。コロナに限らず、病とはその意味で純粋に医学的な出来事ではなく、文化と社会を反映する現象だ。
などと悠長に言っていられないのが再開を目前に出勤が始まった頃の状態で、今では「新しい日常」になってしまったマスク・フェイスシールド・アクリル板設置・手袋・消毒・検温・人数制限・導線の制限に個人情報提出の要請などなどなどなどを、現場で一気に始めることになっていた。分掌からすると総務部が中心になって手配を進めていたのだろう。学芸部・企画展チームの私がその具体的なもろもろを知り得たのが、5月半ば。
コロナは人と人の関係を一変させつつあった。それだけでなく、人と場所の関係の結び方にも、大きな変化がやってきてしまうのだと、再開計画書を読んで知った。端的に言って、「壊れる」と思った。展覧会の予定が飛んだとか急ごしらえでやる代替展の内容がどうのとか言う以前に、別次元で、壊れる。
ミュージアムは個々人の「自由」と「秘密」の場であり、それを前提にして初めてさまざまな交わりが生まれ得ると思ってきた。そういえばそんなテーマのエッセイを、ずいぶん昔に書いたこともある。家出をしてメトロポリタン美術館に寝泊まりする少女の物語『クローディアの秘密』から始まって、自分が当時担当していた学校プログラムや身体表現のワークショップをめぐるその小文は、国立民族学博物館の『月刊みんぱく』に寄せたものだ。以下のリンクの目次【8】で読める。
ともかく、ミュージアムが壊れる。監視と隔絶の文化に飲み込まれてしまう。皮膚感覚として、それは絶対にあってはならないことだった。むろん、壊れるとしても特定の誰かのせいでは全くない。かと言って、全てがしかたないことと流したくはない。そしてそれをひとりで思っていてもしょうがない。
来館者対応は、通常ならもっぱら総務や広報の仕事である。「消毒液をどうやって調達するのか」「検温どうしよう」「とりあえずコロナ対策看板の英訳を早く」と目の前の実務に追われている彼らに、私は勝手に食い込むことにした。
再開したら人と人の関係、人と空間の関係をとにかく日々観察する。それぞれの現場スタッフとマメに立ち話をして、自分が思う最低限のことが確保されないような事態(たぶん一見些細なことが多いだろう)に気づいたら、ともかく変えていけるようにする。状況を読み解くのに有用そうな情報があれば、館内全スタッフに向けて勝手に共有する。情報というのは知ってる人もいるだろうが知らない人もいて、知らない人が知ることで状況が変わるかもしれない。つまりは、おせっかいなうるさい人になるということだった。
これができたのは、緊急事態宣言後のバラバラ勤務に際し、情報共有ツールとしてSlackが導入されたためでもある。上層部もマネージャー級もヒラも非常勤スタッフも、上司部下とかチームとか関係なく誰もがフラットに情報発信し議論し得るこのツールは、年々縦割りなコミュニケーションが増えてきていた私の職場では、画期的なシロモノだった。ふだんなかなか見えない、遠い部署のスタッフの日々の報告から心配ごとも垣間見えて、今まで知らないことばっかりだったなと反省もした。
結果、カフェとお手洗いの関係だの、2月末の台湾で体験してきた消毒検温の流れを知らせるだの、団体客への対応の微妙な文言だのその英訳だのだのだの、そういう「展覧会の外側」の細かいことにいちいちSlack上でも現場でもコミットする私の姿勢に、企画展チームの同僚は「教育的だよねー」と半ばあきれていた。
以下、再開後の最初の3日間の日記。
美術館再開―2020年6月2日
世田谷美術館、2ヶ月ぶりに再開。6/2。
正面入口、新しいプレートとバナー設置。
引きで見るとそれなりに目立つ気もする。
が、大半のお客はこの方向からはやってこない。
写真右手側にあるスロープからてくてく来る。
プレートは視界に入らない。
入ったら消毒検温、そして連絡先記入。
1時間に数人なら混乱なし。
つまり1日に50〜60人レベルの入館者数なら。
つまり大雪とか台風の日並みなら。
お客さんが公園内の別方面からふらっと来る、
カフェの運営はもっと大変。
さすがに連絡先記入はない。
しかしそのかわり、
ふらっとそのまま館内に入ってはいけない。
カフェを一度出て、
わざわざ正面入口に回らねば入館できない。
カフェから5メートルの館内お手洗いに行くにも、このルート。
50メートルくらい歩いて消毒検温連絡先記入して、やっとお手洗い。
たぶん無理な気がする。
出入口が多くて、人の移動の自由度の高さが
自慢の建築であることが、この状況では全てが課題。
試行錯誤。
まずは出来るだけ観察していく。
※世田谷美術館の「出入り口が多くて人の移動の自由度が高い」様子は、たとえば以下の画像で多少イメージしてもらえるかと思う。
美術館再開2日目。6月3日
再開2日目。
カフェやレストランから直接館内に行けない、
という問題は近々改善される見込み。
今日はレストランのお客様を観察がてら、
自分もランチ。
数年前に支配人が変わった時、ここは
「よりぜいたくな空間へ」と方針が変わった。
テーブル数が減り、メニュー単価は高くなった。
1000円台前半のランチが消滅して、
「気軽に行く」感じはなくなったが、
確実に贅沢感は出た。
ただ、混み合う展覧会の時は地獄で、
数時間待ちとかになる。
再開した店内、
さらに席数を減らしたと聞いていたが、
スカスカしていない。
テーブルは間引かず、位置も変えず、
しかしいくつかは
ディスプレイのためにつかっている。
ますますゆったり感。
スタッフ曰く「テーブル間引いても
置き場もないしねー」とのことだが、
上手に活用したと思う。
空間にはキャパがある。
展示室もレストランも、
心地よく滞在して観たり食べたりするのに
適正なキャパがある。
ここのレストランが数時間待ち地獄になる
展覧会では、展示室もたぶん混みすぎている。
でも年に1回くらいは混みすぎの展覧会を
やらないともたない財政情況なのが現実。
少なくともこれまでの現実。
さてどうするか。
美術館再開3日目。6月4日
相変わらず大雪・台風の日並みの入館者数。
しかも「あ、今日は展示はいいです」と言って
館内をなんとなくぶらぶらする人が多いです、と受付スタッフ。
フェイスシールドにマスク・手袋・ピストルのような検温機、
しかも連絡先を書かせるべく待ち構えている、
その全くウエルカム感がない役割が、受付スタッフにはとても辛くて、
昨日は「引き裂かれる感じです」との悲鳴を聞いたが、
今のところ来館者が自然に協力してくれるのがとてもありがたい、
と今日の声。
この正面入口と同じ態勢を、今日からカフェ入口でも取ることに。
でも専属の検温スタッフが手配できないので
手の空いたカフェ従業員がなんとか対応。
私もテラスで食べながら観察。
一瞬、入口が無人になった時に二人連れが。
走って行って検温と連絡先記入をお願いする。
「中で食べないで、アイス買って帰るだけなんですけど?」
と当惑され、はいすいません、でもレジが店内なので…
と言ったら納得いただいた。
この入口係、確かにストレスかかる。
だから納得してもらえるとすんごくホッとする。
「塚田さん、気にかけてくださってありがとう、これバイト代です!」
とレジスタッフからクッキーもらった笑。
しばらくはお客様へのありがとうプレゼントとして配るそうです。
もしサポートいただける場合は、私が個人的に支援したい若手アーティストのためにすべて使わせていただきます。