見出し画像

お金がなくてもあそこには行っていい、居ていい、と思える場所。【美術館再開日記29】


この「再開日記」も、あと少しで終わりになる。臨時休館明けから「作品のない展示室」を経て、もうすぐ100日というあたり。まだまだ「非常事態」は抜けていないけれど、あの猛暑は去って、季節は移ろう。今回は、広報担当者とのランチでの会話。まだまだ先は見えないけれど、1ミリずつくらい、変わっていけるといい。

画像1


美術館再開94日目、9/19。涼しい。広報担当の思い。

連休初日、都内コロナざっと220人。

今日は広報担当者と2人でランチ。
「作品のない展示室」の取材記事が
まだ出続けていることが話題に。
特に個人ライターが書くWEBメディアの
記事に、本当に光るものがあると。

昨日もひとつ、そういうのが出た。
建設業界の転職情報サイトなのだが、
そこに載った若い(と思われる)ライターの文章が熱い。

記事の最後の部分は、私がメールで対応した時の
文章が引用されている。
とても真摯な問いかけだったから
こちらもガチで答えた。
私はこの方に直接会ってはいないが、何かが
ちゃんと通じたなと感じていた。

※そのライター、ロンロ・ボナペティさんは、noteでも数々の熱い建築関連記事をアップしている。その後のメールで、ご本人からぜひ読んでほしいと言われたのはこちら。異能の建築家・石山修武の「伊豆の長八美術館」について。長文だがついつい読んでしまう。

ずいぶん以前だが、当館でも石山修武展を開催した。当館を設計した内井昭蔵とはかなり(いや全く)方向性が異なるゆえ、展示室はなんだかすごい感じになったが、そのギャップも面白かった。石山さんは会場の一角に臨時研究室を設えて、通っていた。わりとご近所なのである。




さて、
少し前に当館に入った広報担当者は
きちんと自分の考えがある人で、
状況に流されない芯がある。

「作品のない展示室」を経て、
美術館の広報のあり方も考え直すべきかも、
と実は思っているとのこと。
おお、と思わず身を乗り出す。
着任時からじわっと感じていたらしい。

企画展の広報だけが突出するのは
どうなのかなと。

30数年活動してきて、ものすごく
たくさんの財産がある館なのに
それが知られていない。
コレクションも教育活動も、
パフォーマンスプログラムも。

建築の良さでさえ。
みんな知らなかったじゃないですか。
私もですけど。けっこうセタビには
通ってたのにですよ。


これまでのいわゆる「花形」であり、
館にとっては稼ぎ頭でもある企画展が
これからも大事なのはいうまでもない。

ただ彼女が危惧しているのは、
どこの館も企画展チケットが値上がりし
(メディア共催ものは2000円前後が
普通になりつつある)、コロナで
ますます経済格差も広がるこの社会で
「美術館なんか行けない」
「そもそも贅沢できる人たちの場所」と
心折れる人々が増えることだ。

私だって、チケット2000円だったら
家族で出掛けられないですよ。
美術館には、お金を使わなくても楽しめる部分がある、
お金がなくても心地よさを感じる居場所を美術館で見つけられる、
ということを知らずに生きていく人を
増やしたくないですよね。本当に。

…本当に。共感しすぎて
しばし無言になってしまった。

うん。
いっしょに何かやってみようよ。
1月からの企画展は私の担当だし、
企画展ではあるけどコレクションだし、
いつもと少し違うことを、
何か試してみようよ。
と言ったらすごく嬉しそうだった。
私も嬉しい。


※募金箱、から心地よい空間について考えさせられた日の記事は、こちら↓


もしサポートいただける場合は、私が個人的に支援したい若手アーティストのためにすべて使わせていただきます。