再起の道すじが見えてきたのか、そうでないのか。【美術館再開日記5】
予定がすべて吹っ飛んでしまった展示室をどう使うのかは、最終的には金勘定の問題である。だからこそ、(なけなしの)お金を動かす志のありようが問われる。ボロボロなのに、あくまで「美術館」として展示室を開け続ける、とはどういうことなのか。思えばこれまで国内外で大きな厄災が起こるたびに、各地の美術館はその問いに直面してきたのだった。
いまとっさに(すごい飛躍とともに)頭に浮かんだのは、たとえば宮城県のリアス・アーク美術館。2011年の東日本大震災のあと、大津波で被災した地域のモノを収集し、展示。のみならず、自身も被災者である学芸員がそれらを集める過程で地域の人たちから聴き続けた膨大な「記憶」をまとめ、何重にも主観的な「創作物語」のハガキというかたちでモノに添え、「客観的記録」の困難さと、未来へと投函された「想像」の細い筋道も示し続けている。以下はそのハガキの一例。同館サイトから画像を借用。
当館が被災物を展示する主たる目的は、単に「破壊された物体」を見ていただくことではなく、被災物を介してそれらが使われていた震災以前の人々の暮らし、日常、さらには被災者が抱えている思いを想像していただくことです。
平穏な日常下において特に意識されていなかった記憶の多くが、じつは身の回りにある様々な物に宿っていたのだということを、私たちは津波被災によって思い知らされました。ハガキに綴られた物語は、本展示の編集に当たった学芸員が、震災発生以降、一被災者として当地で約2年間生活する中、友人、知人、また記録調査活動の現場で出会った被災者等との間で交わされた「被災物及び震災被災にまつわる会話」を基に、本人の被災経験と当館に蓄積された地域文化関連資料の内容、地域性などを反映させ、記録として残すことが困難な津波被災の諸事象を例示しようとした創作物語です。
想像を交えて創作された物語は客観的な資料価値を有していません。しかし、震災発生以降、被災地外から訪れる多くの方々が「想像もできない」と語っていた現状を鑑み、当館ではあえて「想像を補助するもの」としてこの資料をその他の記録資料と併存させ公開しています。(リアス・アーク美術館上記サイトより引用)
コロナ禍のなかでなんとか道を開こうとしている多くの文化・芸術関係者のあいだで、「想像」はたびたびキーワードとして浮上しているように思う。何度でも立ち戻る地点なのだ。つまり何度でも忘れられてしまう。私も忘れてしまうだろうか。この世界的かつローカルな恐ろしい状況で考えたことを忘れてしまうだろうか。そういうことを本格的に考え出すのはたぶんもう少し先で、再開第3週目の日記は、少しずつ前に歩める実感とその喜びがにじんでいる。
美術館再開13日目、6/16。再起のプログラムが決まる。
やっとすべてが決まった。
この7月から来春までの「再起」プログラムが。
延期になるもの新たにこしらえるもの。
日数に監視員人数に入場料に輸送施工展示撤去(要は金勘定)、
そして展覧会タイトル。
※情報解禁はこの2週間後、7/1だった。当館サイトでは「新着情報欄」にアップされたが、トップページのいちばん下までスクロールしないと見れないつくりである。まあどうせ情報はツイッターで流れるから関係ないといえばない。ともかく、websiteの役割は完全に変わったんだとも実感。
3年先5年先の展覧会を考えるのが普通だったのに
半年先が見えただけでこんなに光を感じる。
もちろんたいへん慎ましいことしかできない。
なんか人間的な気もする。
あれこれ奔走してたら閉館時間になっていて、
一度も来館者エリアに行けなかった。
それに気づいて、
「決まった」のは「すべて」じゃなく
(大きなお金が動く)一部分だけだった
と思いなおす。
人で回る、人のエネルギーを相手にする
教育普及プログラムやイベントは
まだまだ模索中。
まだまだ粘る時間。
※この時期、教育普及チームはとにかく「通信教育講座」をYouTubeチャンネルにアップし続けていた。たとえば6月11日はこれ。
美術館再開14日目、6/17。おまけ展示はカオス感をなくしてはいけない。
ドサクサ企画、
カオスを整理できるようにと考えた枠組みは
笑っちゃうくらいダメだった。
時代の「熱源」みたいなものを素直に辿るのが
いいんだろな。
大量の記録写真だのチラシだのに目を通しながら
「いい加減」な構成を探り続けているが、
まあそのへん、最後はラテンなぶった斬りで
なんとかなるか(知らんけど)。
昼下がりのコレクション展示室、
短パンのおじさんがひとりでのんびり見ている。
自分もボーッとうろうろする。
ふと、視界の端っこでただならぬ気配が。
え、と振り向くと、
新米の若い男性の監視員が「ザッ」と
効果音付き(空耳です)で立ち上がって
異様にかしこまっていた。
部屋を出る時にどうもー、と会釈をしたら
「ザッ」(会釈)→「ザッ」(着席)。
あの・・・展示室ではお静かに・・・。
美術館再開15日目、6/18。「作品のない展示室」と、おまけ展示「特集 建築と自然とパフォーマンス」
情報一部解禁。7/4からの夏のセタビ企画は
「作品のない展示室」。
その最後のところで私のドサクサ企画、
「特集 建築と自然とパフォーマンス」。
入場無料。
Websiteのトップページ、
自然と一体化した、
うちのご自慢の美しい部屋。
※企画が終了すると画像はサイトから削除されてしまうので、とりあえず自分で撮った類似のやつをあげておく。
「開催概要」は事実上、館長の言葉です
(クレジットないけど)。
何にもないんだ、でもよかったら来て。
ここで見たものを思い出しに。
そんな文章です。
さて、今日も今日とて金勘定。
ドサクサ企画、連絡すべき皆さんに
全く連絡できてない。
きっと、きっと、明日には。。
日々ドサクサドサクサ書いてたら、
ボサボサな風景が妙に目に入ってくる。
美術館再開18日目、6/21。スタッフと来館者の見事なコラボ。
午前中からちゃんとお客さんが入る。
受付スタッフによると昨日の来場者は3ケタ前半。先週末より増えてる。
楽しみに来た、という雰囲気の方が増えたとも。
なるほど、先週まではどっちかというと
ホッとしに来てる感じだったな。
見ていると、館内に足を踏み入れる瞬間の
来館者の動きが強張ってない。
検温スタッフも肩の力が抜けた。
で、流れるように見事な消毒検温記入のコラボ。
ほんとにコラボなんだなあ。
最初の週とは見違えるような変化です。
今日はようやく、1週間遅れで
「建築と自然とパフォーマンス」で見せたい
記録写真の、出演者のみなさんに連絡開始。
お返事をくださった方とは、短いながらも
ギュッと何か詰めこんだやりとりが生まれる。
ご連絡嬉しかったです。
また会いたいです。
もう●年経つんですね。
遊びに行きますね。
なかなか行けないけど応援してます。
また何かやりましょう。
これなんだな。これなんですよ。
これが眠ってた。
昼のカフェ、
雲間からいい具合に日も射して、
外のテラス席が一瞬ほぼ満席。
コロナの真っ只中に着任した新しいシェフは、
先週あたりから猛然と新メニューを試している。
嬉しいよね。そりゃそうだよね。
今日のランチボックスは魚介のゴハン。
具材(という名の気持ち)が箱からはみ出てる。
これだよね。
もしサポートいただける場合は、私が個人的に支援したい若手アーティストのためにすべて使わせていただきます。