いまどき電話といえば問い合わせかクレーム。だけではないことを知った。
「器と絵筆」展オープンから2週間。SNSに少しずつ投稿が増えてきた。昨日の朝、展示室をひと回りしてデスクに戻ったら、伝言メモ。先日ご来場されたお客様から、お電話があったと。
自然光のなかで魯山人を鑑賞できて感激、世田谷美術館ならではですね、素朴派の展示もよかったです、と、ひとしきり感想を述べられたという。
へえええ。問い合わせでもなく、クレームでもないお電話。
よかったですよ、という、知らない方からのご感想。展覧会を担当するようになって10年ほどだが、そんな電話は初めてだ。
午後、仕事が一段落したついでに、電話を受けてくれたスタッフのところに行く。あまりに珍しいことなので、もう少し詳しく状況を知りたい。
あの、今朝のお電話の方って。きっとご年配の方だよね?
という予測はハズレ。
いえ、お声の感じだと30代くらいかなあと。女性の方で、とっても楽しそうにお話しくださいました。週末、夕方にいらしたようです。エントランスの壁面に彫ってあるラテン語、「芸術は自然とともに人間を密かに健康にする」でしたっけ、それにもぴったりですね、ともおっしゃっていました。初めていらした感じじゃないですね。
なんとなくですけど…去年の「作品のない展示室」なんかも、いらしてくださっているんじゃないかなと。パフォーマンスの記録も、ひょっとして、ごらんになっているような・・・この美術館でやってきたこと、よくわかってくださっている雰囲気だったんです。なんだか私も、嬉しくなっちゃいました。
・・・へえええ。
いろいろ、感慨深い。
展覧会。実際にどういうふうに見ていただいているのか、担当としてはなるべく知ろうと努める。SNSをチェックし、日々展示室を回って、お客さんの様子を見る。
でも、お電話をいただく、という経験は独特だと思った。SNSは顔や身体が見えない。展示室では来場者の姿は見えるが、こちらに話しかけてくる方はごく少ない。電話の「その人」は、私の前にいる、と感じた。その方は名乗ったわけでもないし、私が自分で直接電話を受けたわけでもないのにだ。なんでだろう。
スタッフが電話口で「なんとなく」感じ取った情報のおかげでもある。それは情報じゃない。やりとりのなかでこそ立ちのぼってくる、その人の気配、としかいいようがない。
よかったですよ、と喜んでいただいたから嬉しい。それはもちろんある。が、それ以上に。
あえて電話というめんどくさいメディアを使って、美術館の誰かと(電話対応のスタッフが親切であるという保証もないのに)わざわざやりとりしながら自分の感想を伝える、そういうふうに関わってくださる方がいる、しかも比較的お若い、ということに感じ入ったのだった。
夕方、再び展示室を回る。ちょうど夕焼け。大きな窓からよく見える。わあ。いい時間帯ですね、と思わず監視スタッフに声をかけると、ニコニコしながらこう教えてくれた。
この展覧会、みなさんとてもゆっくり過ごしていかれるんですけど。今日、朝からいらしているお客様で、このお部屋が大好きだという方が、夕日も見て帰るつもりです、って。今日は1日ずっとこの美術館で過ごすんです、って嬉しそうにお話ししてくださいました。
その方も、比較的お若い女性の方だという。
生身で言葉を届けてくれる、個人。その人たちの言葉は、日々ここで働くスタッフの感受性と身体を通って、いっそう確かな気配となって、この美術館で共有される。
お電話の方も、夕日を見るまで滞在される方も、どんな方だったのだろう。気配を運ぶ言葉は、想像力を目覚めさせてくれる。忘れないと思う。またお越しくださいね、とその方々の気配に、勝手に呼びかけた。今日もいい天気。いい夕日、ここから見れると思います。
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