雑談と脱線(だけ)からなるクリエイティビティ?【美術館再開日記28】
子どもたちとボランティアのおっちゃんおばちゃんのワイワイが聞こえない世田谷美術館は、まだ「日常が戻った」とは言えない。そういう事業を担当しているセクションの同僚たちは、つまり今も「非常事態」のなかにある。9月、1階でも展示が再開すると、それがいきなり見えにくくなった。それが危ない。
前回の記事でも書いたが、当館はたくさんの「外の人」、つまりボランティアが関わっている館である。来館者向けのプログラムをつくる「普及セクション」のスタッフは、その「外の人」たちから大小さまざまな知恵や意見をもらいながら、独りよがりにならない地域密着な活動を、20年以上にわたって展開してきた。
コロナで「外の人」の来訪が途絶えることで、普及スタッフがどういう打撃を受けたのか。ある日のランチで若手の悲鳴を聞いて、実感した。
のであるが、そのことをFacebookにアップした時、「こういう時代なんだし、自分たちから外に出ていくしかないのでは?オンラインもあるし」といったコメントをくれたビジネスパーソンの知人がいる。普段から孤軍奮闘している地方の同業者は、「的外れになることもあるのかもしれないけど、いつもとにかく自力で情報探してなんとかやってます」と。
本当にまったくもっともなことで、打撃だ何だと騒いでいる自分たちは贅沢すぎる&時代遅れかな、と思った。悲鳴をあげた若手は、後になって「あのときは若干病んでましたー」とも言ってきた。
でも、今もまだわからない。もっともだと思いながら、しかしスタッフがオンラインでおっちゃんおばちゃんと毎日つながれば、今感じている打撃の痛みが消えるのか。消えなくても、諦めるしかないのか。諦めることは、忘れることにならないか。「病んでましたー」で片付けないほうがいいこともある。
Zoomでは会議はできても雑談や脱線ができない、と、よくきくようになった。極端な話になるが、無数の雑談と脱線(だけ)からなるクリエイティビティ、というものがあると思うのだ。そんなもんは仕事じゃないだろう、と思われる方もいるだろう。短期的にはごもっともだ。でも10年20年で見ると違うのだ。「そのへんのおっちゃんおばちゃん」の皮膚感覚が美術館に入ってかたちになる、そのための作法というものがある。気がする。
とはいえそれでもやっぱり、コロナを機に変わらざるを得ないことはある。それを10月の今も、必死で探している。
美術館再開84日目、9/8、暑い。若手の悲鳴、「外への回路がない」。
都内コロナまたざっくり200人。
日本とアジア諸国との行き来が解禁。
1階も2階も展覧会をやっている。
80日以上の「非常時」があったのに、
展示室を回るとそれがなかったように
錯覚する。
「元に戻った」ように見える風景の力はすごい。
戻ったと思いたい同僚も多くいるから
それはそれでいい。
が、
そうなると見えにくいのが
まったくまだまだ「非日常」の中で
手探りを続けている部署の葛藤。
教育普及のセクションである。
(去年から「教育」が取っ払われて
ただの「普及」という名になった。)
ここのところ、チラチラと
気になることは目や耳の端に
引っかかってはいた。
なんだかごつんごつんと
あちこちに不器用にぶつかる音が
するような感じ。
普及セクションは
コロナ状況下でいち早く
方針転換し、手づくりでやれることを
どんどんやっていた。
オンライン講座とか100円キット作りとか。
※臨時休館から1週間後の4月5日には、100円でできる工作シリーズの紹介が始まっていた。その後、生涯学習講座(「美術大学」という)の講師によるオンライン講座も始まった。当初は担当者らがスマホで動画撮影し、編集なしでアップしていた。とにかく必死だった。
その動きを、「張り切ってるなー」と、
積丹センセイ(=館長)などは評していた。
でも「張り切ってる」のとは少し違う、
と私自身は感じていたし、最近は
ますます違う感じになってきていた。
よく相談に来る後輩とランチをしながら
今日、その「違う感じ」の正体が
やっと見えた。
いま、正直いちばん忙しいのは
私たちだと思うんですよ。
ぜんぜん元の活動はできないし
どんどん新しいこと決断しなきゃだし、
正直追いつかない。
いや、追いつかないというより、
ずーっとおんなじメンツでぐるぐる
話してるだけだから、
もう外に回路がなくて
おかしなことになってるかも。
ずーっとおんなじだから。
え、でも今までだってそのチームで
話し合って物事を進めてきたんでしょ?
今まではぐるぐるしなかったの?
いやいやいや、
今までは私たちの周りにはいーっぱい
いろんな人がいてくれたじゃないですか。
ボランティアの皆さんとか
講座の講師の皆さんとか、毎日いつも
誰かがいて、ちょっと相談したり
ちょっと反応を伺ったりできたんですよ。
それで私たちはいろんなことを
判断できてた。軌道修正もできた。
でもこの半年誰も身近にいない。
普及チームの人間しかいない。
もうぐるぐるにしかならないですよ。
これはちょっとショックだった。
やっぱり「人」は美術館の血液だった。
とりわけ教育普及の仕事にとっては
文字通りの死活問題だった。
外から人が来ないと血が巡らない。
どうすりゃいいんだ。
美術館再開85&86日目、9/9&10。「規格外」の人として、観察を続けることにする。
まだ残暑。
都内コロナ相変わらず200-300人だが
小池知事は警戒レベルを下げるらしい。
まだ病み上がりで頭も働かないので、
ということにして
デスク周りを黙々と片付ける。
1月末に終わった「奈良原一高のスペイン」展がらみの
書類や資料が発掘されて出てくる。
本当に別世界のことに思える。
撤収を完了した日にお通夜に伺った。
コロナ前夜だった。
この半年の「切断」感。
※コロナ前夜、「日常」での最後のイベントは展覧会最終日のクロージング企画だった。スペイン人ギタリストの、すごくいいライヴ。超超満員。福岡の旧友が20年も踏ん張ってやってきた「ラテン文化センター」、NPO法人ティエンポ・イベロアメリカーノが企画協力してくれたものだ。今、彼らもコロナで苦しんでいる。クラウドファンディング絶賛展開中。そういえば、福岡は奈良原一高の故郷でもある。一高さんも若い頃ギターを弾いていたのよ、と奥様から伺った。追悼ライヴになってしまった。
午後、廊下で唐突に呼び止められる。
普及セクションの後輩。
先日のランチ後輩とはまた別の、
深呼吸がだいぶ必要そうな人である。
唐突に相談が始まる。ひと呼吸もなし笑。
だいぶとっ散らかっているが、
ざっと糸をほぐすと、なるほど。
問題によっては、
必要なのは文字通りの「外」の人、じゃなくて、
「中」にいるけど外野のおばちゃん、かも知れん。
特に私みたいな、いろんな仕事あれこれやってきた
やや「規格外」の(何が専門かちょっとわからない)人。
もしかしたら、普及セクションは
今まで手をつけてこなかった規模の
顔の見えない人たちを相手に
何かをやろうとしているのだろうか。
というかやらざるを得ないのか。
ともかく、外野に真っ先に出てくるのは
若者である。風穴が開くとしたらそこからか。
おばちゃんは引き続き観察するか。。。
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