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小鳥遊優 バイクを買わされる

本日、天久鷹央シリーズ最新作『神話の密室 天久鷹央の事件カルテ』が発売になりました。
(発売日は地域によって多少前後します)
皆様、ぜひお手に取ってみて下さい。

最新作発売を記念しまして、前作『魔弾の射手 天久鷹央の事件カルテ』の際の特典として執筆した掌編を無料公開いたします。
どうぞお楽しみください。

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 とある初夏の金曜の夕暮れ。朝からの救急業務を終えて疲労困憊の僕は、天医会総合病院の屋上にある、僕のデスクが置かれた小さなプレハブ小屋の扉を開けた。中に入った僕は、むわっとした熱気に顔をしかめつつ、救急部のユニフォームの上着を脱ぐ。


 さっさと自宅に帰ってゆっくりしよう。明日からの週末は珍しく予定も入っていないし、家でダラダラ過ごそうか。そんなことを考えつつ、椅子の背にかけてあるポロシャツに手を伸ばしたとき、勢いよく扉が開いた。


「おっ邪魔しまーす!」

 快活な声が狭い空間に響き渡る。反射的に僕はポロシャツで体を隠した。

「こ、鴻ノ池?」

「はい、鴻ノ池です!」

 白衣姿の鴻ノ池舞は、ビシリと敬礼をする。


「いや、『鴻ノ池です』じゃないだろ。ノックぐらいしろよ」

「そんな水臭いこと言わないでくださいよ。私と小鳥先生の仲じゃないですか」

「どんな仲だよ。いま着替えているんだ。外で待ってろ」

「あっ、気にしなくて大丈夫ですよ。私、高校時代水泳部でしたから、男性の上半身の裸ぐらい見慣れていますから」

「僕が気にするんだよ!」

 声を張り上げながら、僕は慌ててポロシャツを着た。

「で、なんの用だ?」

 疲労が濃くなっていくのを感じながら訊ねる。早く帰って休むためにも、一秒でも早く天敵であるこの研修医を部屋から追い出したかった。

「いやあ、しかし小鳥先生、はじめて見ましたけど、けっこういい体してますね」

鴻ノ池はいやらしい笑みを浮かべる。

「三角筋とか広背筋がかなり発達しているし、体脂肪率も低いから腹筋も割れてる。彼女ができないとかよくぼやいていますけど、病棟でその筋肉見せつければ、ナースとかにアピールできるんじゃないですか」

「……んなことしたら、彼女ができる前に逮捕される。セクハラしに来ただけなら、さっさと帰れ」

「ああ、すみませんすみません、ちゃんと用事あります」

 鴻ノ池は軽く咳ばらいをすると、僕の目をまっすぐに見た。

「恋人がほしいんです」

 僕の口から「は?」という呆けた声が漏れる。

「だから、恋人がいなくてつらいんです。研修のストレスを癒してくれるような、一緒に夜を過ごしてくれるような恋人がいなくて、この何日間か体が疼いて仕方がないんです」

「そ、そうか……」

 鴻ノ池の赤裸々な告白になんと言っていいか分からず、僕は戸惑う。

「えっと……、それはもしかして、誰かいい相手を僕に紹介して欲しいってことか?」

「いえいえ、違いますよ。紹介して欲しいわけじゃありません」

 鴻ノ池は首を横に振る。

「私に新しい恋人を買って欲しいんです」

「そんな、ヤバいこと出来るわけないだろ!」

 声が裏返る。

 鴻ノ池は不思議そうに、「ヤバいって何がですか」と小首を傾げた。

「いや、だってお前、恋人を買うって、そんな……」

「この前、約束してくれたじゃないですか。私に新しい恋人を買ってくれるって」

「そんな、アンモラルな約束した覚えがない!」

「いえ、しました。二週間前に。ちゃんと思い出してください!」

 鴻ノ池の勢いに圧倒された僕は、「は、はい」と記憶をさらう。二週間前というと、ちょうど『人体自然発火現象』の事件が解決した頃で……。そこまで思い出したとき、「あっ!」と声が漏れた。

「思い出してくれたみたいですね」

鴻ノ池は楽しげに言う。

「お前の言う『恋人』ってもしかして……」

「はい、バイクのことです」

 鴻ノ池はにっと口角を上げると、両手を広げた。

「というわけで、明日はバイクショップにデートに行きましょう」



「見てくださいよ、小鳥先生! これかっこいいと思いませんか⁉」

 攻撃的なフォルムをした大排気量のバイクの前ではしゃいだ声を上げる鴻ノ池に、僕は「はいはい、かっこいいかっこいい」と適当に答える。

 翌日、僕は鴻ノ池にとともに都内にある大型バイクショップへとやってきていた。二週間前、『人体自然発火現象』の事件を解決する際、炎に包まれた蔵に閉じ込められた僕を救い出すため、鴻ノ池の愛車のバイクが犠牲になった。そのため、鴻ノ池に新車を買う約束をさせられていたのだ。

「なんですか、その露骨にやる気のない声は。見てください、この機能的でありながら美しい嫋やかな曲線を。これに乗ってエンジンの振動を感じながら、風を切って走るのを想像しただけで……、もう最高」

 鴻ノ池は自分を抱くかのように両肩に手を回すと、スレンダーな体をぶるりと震わせた。

「……変態」

 思わずそうつぶやくと、恍惚の表情を浮かべていた鴻ノ池は、目を剥いて突っかかってくる。

「変態ってなんですか! 変態って!?」

「そんな歪んだ性癖を語られたら、変態だと思われて当然だろ」

「どこが歪んでいるんですか⁉ ここにあるバイクを見て、かっこいいと思わないんですか⁉」

「いや、まあ確かにかっこいいけどさ……」

 ただ、それ以上に、値段の方が気になるのだ。このエリアにある大型バイクは、想像していた予算を遥かに凌駕している。

「なあ、鴻ノ池、あっちの方に置かれているバイクはどうだ?」

 僕は店の奥にある、小型のバイクが並んでいるコーナーを指さす。

「えー、嫌ですよ、あんな貧弱なの。やっぱり恋人は、大きくて、力強くて、尖ったかっこよさがないと。それを意のままに操るのが、暴れ馬を支配しているような感じで、快感と言うか……」

「だから、お前の歪んだ性癖を聞かせるな。正直に言うとだな、ちょっとここの辺りにあるバイクを買うには、予算が……」

 僕がぼそぼそと言うと、鴻ノ池はすっと目を細める。

「小鳥先生をすくうために、私の愛車は犠牲になったっていうのに……。先生の命って、思ったより安いんですね」

 口から「うっ」と呻き声が漏れてしまう。それを言われるとつらいのだが、懐具合がさびしいのも、それに輪をかけてつらいのだ。

「仕方ありませんねぇ」鴻ノ池はこれ見よがしにため息をつく。「小鳥先生、こう考えてみるのはどうですか。これはある種の先行投資だと」

「先行投資?」

「そうです。ご存じないかもしれませんが、私は病院内でも一、二を争う情報通です」

「……ご存じだよ。痛いほどな」

 こいつにおかしな噂を流されたせいで、これまで何かと苦労してきたのだ。

「つまり、ここで奮発してくれたら、小鳥先生は院内随一の情報網を持つ私を味方につけられるということですよ」

「お前を味方に……?」

 疑念が声に出てしまう。こいつは敵に回すと間違いなく恐ろしい奴だが、味方につければつけたで、なにやら面倒なことになりそうな気がする。

「なんですか、その嫌そうな顔は。いいですか、私がその気になれば、院内にいる恋人募集中のナースの一覧を作ることだって可能なんですよ」

 思わず眉がピクリと動く。そんな僕を見て、鴻ノ池はにやりと唇の端を上げると、畳みかけるように言葉を重ねてきた。

「小鳥先生、七階病棟のナースの島崎さんとか、好みでしょ」

「な、なぜそれを……」

 診察の依頼などで七階病棟に行くとき、いつも綺麗なナースがいるなと思っていた。その女性の名前がたしか島崎だった。

「小鳥先生の好みのタイプなんて完全に把握してますよ。さて、小鳥先生、もし予算の上限を上げてくれるなら、すぐにでも島崎さんが恋人がいるかどうか、調べてあげますよ。それだけじゃありません。もしフリーなら、合コン組んであげるのもやぶさかじゃありません」

 鴻ノ池はにやにやといやらしい笑みを浮かべたまま、「どうします?」と僕の顔を下から覗き込んでくる。葛藤が頭の中で渦を巻いていった。

「好きに選べ……」

 数十秒後、僕は喉の奥から言葉を絞り出す。鴻ノ池は「え、なんですか」と耳を近づけてきた。

「だから、好きなバイクを選べって言っているんだよ! どれでも買ってやるから!」

 半ばやけになりつつ、僕は声を張り上げる。鴻ノ池が愛車を犠牲にしてくれたおかげで命が助かったのだから、ここでケチなことを言っていては情けない。ナースの情報うんぬんは関係なく、そう思ったのだ。

 いや、本当にナースのことは関係ないんだって。本当に……。

 僕が自分に言い聞かせていると、鴻ノ池は「あっりがとうございまーす!」とスキップしながら、大型バイクを見繕いに離れていった。



 数時間後、鴻ノ池と別れて帰宅した僕は、通帳に記載されている預金残高を見てため息をつく。結局、僕は鴻ノ池に猛禽を彷彿させる凶暴なフォルムの(かなり予算をオーバーした)大型バイクを買ってやる羽目になっていた。

冷蔵庫から取り出したビール缶を開けたとき、スマートフォンに鴻ノ池からメールが入ってきた。僕はビール缶を片手にしたまま、メールを開く。

『今日はホントにありがとうございました! おかげで最高の恋人に出会えました♡ 後ろに乗せてあげますから、今度ツーリング行きましょ。
あっ、あといま思い出したんですけど、実は島崎さん来月退職予定らしいです。なんか、地元に帰って恋人と結婚するとか聞きました。ではではー』

 メールに目を通した僕は、スマートフォンをテーブルに置くと、ふっと苦笑する。

「まあ、そんなことだと思ってたよ」

 ビール缶に口をつけて、中身を一気にあおる。痛みにも似た冷たい刺激が喉から鳩尾に落ちていくのが爽快だった。


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