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プチ別居生活を始めて気づいたこと Part 2


旦那とプチ別居生活を始めて2ヶ月が経った。

オーストラリアはまたロックダウンになり、

移動規制で最近は本当に週に1回くらいしか会えなかったりして、

前回の記事を書いてからまたいろいろ状況が変わってきたから、

今日はそのパート2を、書きたいと思う。

ーーー

プチ別居を始めて2ヶ月目、

コロナによる移動規制で旦那とさらに会えなくなって、

旦那にも、私にも、ある変化があった。


まず旦那の変化から。

旦那は、一週間近くも離れていると、

そのことがかなり、キツそうだった。

旦那のほうがわたしに会いたくて会いたくてたまらない様子になっていって、

そのことに、少し驚いた。


私たちは、国際遠距離もしていたのだけど、

「会いたい」と泣き出すのはいつも私のほうだったからだ。

旦那も「会いたい」というけれど、

いつも心の折り合いはつけているような、そんな感じで、

「もうすぐ会えるからね、我慢しようね」と、

わたしのことをなだめる役だったのに、

いまは、それがまったく逆転していた。

旦那が本当に辛そうにしていて、

旦那がそんなふうになると思っていなかったから、

そのことに驚いた。


でも、わたしはね、

それとは逆で、

旦那と離れている間、

すっごく、

自分の人生に夢中になることができた。


そして、そのことが嬉しかった。

旦那といっしょにいない間も、

やりたいことは次から次にあふれてきた。


「会えないこと」とか「寂しさ」とか、

そういうものに自分の時間が侵食されることがなかった。


旦那と暮らし始めてから、

「わたしは旦那がいないと生きていけなくなってしまった」と思っていたし、

「いないと困る」ことは事実なのだけど、

でも、それとは別のところで、

「わたしは、まだ、自分の人生に必死になることもできそうだ」

ということが、わかった。

そして、そのことはわたしにとって、

すごく、大きい。


ーーー

わたしは、この数年、

どこか、

幸せなんだけど、

漠然としたモヤモヤを抱えていて、

引っ越す前、旦那にこんな話をしたことがあった。


「今はなんだかモヤモヤするんだけど、
そのモヤモヤの正体が分からなくて困っている。
だけど、わからないながらも、
”引っ越したら変わる”っていう仮説はあるから、
まずそれを検証したい。
引っ越して晴れ晴れしたら、
わたしがモヤモヤしている問題は、
”田舎町に住んで自由がきかないこと”だと分かるし、
引っ越しても変わらないようなら、
”ただ日本の家族が恋しい”とか、
”英語に劣等感を感じすぎている”とか、
”ただ文句を言ってうじうじしているだけだ”とか、
また他の仮説を立てて、動ける。
だから、まず、引っ越して、
自分が快適になるための行動を起こしたい」

ということを旦那に言っていた。


それでね、引っ越してわかったことは、

わたしの仮説は当たっていて、

引っ越しをしたことで、

快適さがバク上がりしたんだけど、


だけど、それだけじゃなくてね。


わたしがモヤモヤしていたのは、

「圧倒的に1人の時間が足りていなかったからだ」

ということに気づけた。

もっと詳しく言うと、

「”自分の時間を優先できる環境”が足りていなかった」ということ。


これはね、わたしが、

旦那といっしょにいる限りは、

旦那といっしょに時間を過ごすことが何よりも最優先で、

いっしょにいることが楽しすぎるから、

1人で過ごすことを意志の力で選択することが難しい

というのがあって。

つまりね、

わたしは旦那といると、

「自分の人生に集中する」隙がまったくなくなってしまう。

幸か不幸か、

コロナが蔓延してからというもの、

約1年半、わたしと旦那はほぼ24時間365日、

ほぼいっしょに時間を過ごしていたから、

ずっとそんなふうな状況が続いていたということ。


旦那と離れてい生活しているときのわたしは、

7時には起きて、

朝その日のスケジュールとタスクを書き出して、

SNSを更新して、

仕事の合間にはYoutubeやVoicyのためになる話なんかを聞いて、

仕事のあとは勉強して、

寝る前には日記を書いて、

活動的になれるのに、

旦那との生活を再開したとたん、

朝は、旦那といっしょにベッドに入っているのが快適すぎて起きられないし、

旦那がいると、いっしょに遊びたすぎて他のことが手に付かないし(そわそわする)、

何もせずにただダラントロンする時間さえ愛しくなってしまうから、「何もしない」ことができてしまうし、(1人だと何かしていないと落ち着かない)、

旦那のために凝った料理を作りたくなってしまうし、

カフェに行ったり、お酒を飲んだり、映画を見たり、2人でいっしょにできることが、どうしてもどうしても、圧倒的に優先度1位にきてしまって、

「自分の時間を過ごす」ことの価値が感じられなくなってしまう。

「自分の時間を過ごす」ことはいくらだってできるはずなんだけど、

「その時間がほしい!」という気持ちがそこから根こそぎなくなってしまうんだよね…!


だけどね、厄介なことに、

「自分の時間」の価値が感じられなくなったり、

優先度が下がってしまったりしても、

それは「必要じゃなくなった」わけではなくて、

実は、自分にはすごく、すごく必要で、

そういう時間を確保できていなかったことが、

わたしにとっての圧倒的な

「モヤモヤ」の原因だったんだ。


そのことに気づけたのは、プチ別居を始めて、

わたしが、

”強制的に”旦那とプチ離れ離れになって

”自分の時間を優先する”環境を、

自分の意志に頼ることなく手に入れられたからなんだよね。


旦那には、

「早く会いたいよ〜会えるの楽しみ!!」

と言っていて、

それはまったく嘘ではなくて、

本当なんだけど、

だけどそれなりにこの生活も楽しんでいて、

それはこの生活だと、

わたしは自分のへなちょこな意志の力に判断を委ねることなく、

強制的に、「自分の時間ができてしまう」なんだよね。


その自分の時間に、人生に、

夢中になれる。



もしかしたら、案外この生活は、

自分に合っているかもしれない、と思う。


国際遠距離をしていたときは、

1人のときも、

自分の人生に集中できないくらい会いたくて寂しくて辛かったけど、

結婚して2年目のいま、

会えなくても、

信頼していて、愛していて、

信頼されていて、愛されていて、

寂しくもなく、自分の人生にも集中できるのであれば、

それって、けっこう、

最強だ、と思う。



さすがに一週間に1回は少なすぎるけど、

週に何日か会えなかったり、

通勤のため少し遅めに帰ってきたりするのは、

わたしにとって、都合がいいかもしれない、

と思う。

自分では決して、それを選べないからこそね…!

自分で選ぶと、

「毎日会ってできるだけたくさん過ごしたい」の一択になってしまうから。笑

自分で選べなくて、それがしょうがないのであれば、

それはそれで、くよくよすることなく、

わたしは、自分の人生に集中できる、ということ。


とにもかくにも、

わたしにはこの先も、

「自分の時間を優先する”環境を、自分の意志に頼ることなく手に入れる」

ことがすごく自分を満たしてくれそうだし、向いていそうだな、

と思う。

そんな気づきがあった、

プチ別居生活2ヶ月目だったよ!


*こも記事は8月に書いたものです!







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