幼少期の記憶は、手ゴワイ。
義兄は、毎日義母に電話をかけてくる。
毎日、毎日。
遠くに住んでいるわけでもなく、
ほんの20分くらい離れたところに住んでいて、
しょっちゅう会っているのにも関わらず、
毎日、夜6時くらいになると決まって電話がかかってきていて、
「毎日毎日どんな用事があるんだよ」と思いながら、
義母が電話をしているのを、わたしは横聞きしている。
(現在わたしは義父母といっしょに住んでいる。)
と、まあそんなことが毎日起こっているんだけど、
わたしが注目しているのはそんなことじゃなくて、
いつも感心しているのが、
「毎日午後5〜6時くらいの時間」に、
「義父母が仕事を終えて家に帰ってきていて」、
「電話に出られる状態である」
という事実だ。
「毎日電話をかけてくる」こともスゴいけど、
「その電話に毎日出ることが可能な環境にある」という事実と、
これが、当たり前に起こっていることが、スゴい。
わたしの両親は、いつかけたって、電話に出ない。
平日は、朝7時から夜11時、
休みの日も職場に行って仕事をしているからだ。
運よく電話に出てくれたとしても、
やっぱり家で仕事中だったり、
疲れ果てて寝ているところを起こしてしまったケースだったりすることも、
少なくない。
海外に住んでいるとはいえ、
せっかく時差1時間っていう海外移住者にとっては好都合なお国に住んでいるのに、
その恩恵もまったく受けていなくて、
もうまったく、カナシイすぎる。
***
両親はわたしが幼い頃から共働きだった。
そして、わたしは、
そんな両親のことが、嫌いだった。
よくある、
「両親は共働きで寂しかったけど、立派に仕事していて尊敬できるふたり!!!!感謝してます!!!!」
…とはならない。(今のところ)
悲しきかな、
「寂しかったし、もう仕事やめてくれ!!!」
という感情しか残っていないのである。
それくらい、わたしには、
記憶があるころから両親が忙しくしていたことに、
「負」の感情しかない。
誰もいない家に帰るのは寂しかったし、
学校行事に来てくれないことも悲しかったし、
休みの日と仕事から帰ってきたあとの機嫌の差を観察してしまうのもいやだった。
両親がめずらしく仕事が休みのときには、
家に帰ると、機嫌がいい両親がいるのを目の前にして、
「ああ、主婦のお母さんを持つ友達は、毎日家に帰るとこんな感じなのか。機嫌もいいし、最高じゃん。仕事やめてくれないかなあ」
と、思っていた。小学生のときのことだ。
大人になってから、
もうそんなことを憂うことはなくなったけど、
だけど今だって、
こうやって電話にさえ出ることができない親を見ていると、
子供時代とまったく同じ気持ちになるのである。
「ああ、またか、またこれか」って。
(こんな風に書くと、ひどい両親みたいだけど、両親は私のことをすごく愛してくれていたし、休みにはいろんなところに連れて行ってくれてはいたし、習い事もさせてくれて、ちゃんと大事にしてくれていた。)
***
わたしが、
「ストレスをためないこと」や「好きな仕事をすること」に
すごくこだわっているのは、
どう考えても、この子供時代に持っていた感情が、
大きく影響しているよな、と思う。
「仕事のストレスを家に持ち帰らないこと(家に持ち帰らないといけないくらいのストレスを仕事で生み出さないこと)」、
「そのために、好きな仕事をして自分のご機嫌をとること」、
「仕事よりも家族を絶対的に優先できる環境で働くこと」、
それが、いつのまにか、知らないうちに、当たり前のように、
自分の中にあった。
「人の一生は12歳までに決まる」と言われている。
(諸説ある。6歳までに人格形成されるとか、3歳までだとか。だけど、とにかく幼い。幼少期には、大人時代に影響を与えるある程度のものができている、のだと思う。)
わたしは自己分析のために、
幼少期の経験まで遡るカウンセリングを受けたのだけど、
そのときに、幼少期の体験や、感情が、
今の思考、判断、価値観に深くつながっていて、
驚いたことがある。
自分が考えていることを深く深く、探っていくと、
結局は、あの子供時代の風景が頭に浮かんだりするのだ。
自分がいつか親になった暁には、
そういう覚悟と、親として子どもに接する事の重大さを痛いほど感じながら、
向かい合わなきゃいけないな、と思ったりするよ…!
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