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リアル文芸翻訳2

20代に共訳でエリック・クラプトン本を出したことがあるのですが、このときはまだ普段の記事翻訳の延長線上で翻訳作業を捉えていました。なので、この本、自分の中ではカウントしていません。

ミック・カーン著『ミック・カーン自伝』は、彼のがん治療費を援助したい一心で、自分から仲の良い編集者にギャラなし翻訳を願い出たものです。残念ながら翻訳本が出版される前にミックが天に召されてしまったのですが、それでも彼自身が書いたこの本を出版できて嬉しかったです。

これが自分にとって本当の意味での初翻訳本でありながらも、ミック存命中に出版したいという意欲が先走り、文章のクオリティまで意識が届かないままで作業していた記憶があります。昼は出版社の国際部の仕事、夜〜明け方までこの本の翻訳という大まかな区分で作業を進めていたので、最初は進みが遅くて……。

そんな特殊な状況での翻訳作業だったため、作業中は自分の訳文の良し悪しよりも、内容を正確に伝えることに重点を置きました。それというのも、担当編集者U氏は編集能力も校閲能力も文章力も最高レベルの信頼できる先輩で、私、甘え倒しちゃいました(笑)。

さらにミック他界後、彼の誕生日に出版することを決め、そこに合わせるために作業速度をかなり上げる必要が出てきました。そのため、章ごとに翻訳原稿を送る→U氏による校正→章ごとの翻訳者校正という手順で全編の翻訳を終えたのち、ボランティアで校正を引き受けてくれたベテラン編集者5〜6人による校正→翻訳者の最終校正で無事に作業が終わりました。

U氏の校正は見事なもので、中高生レベルの駄文が大人の文章に磨き上げられている事実に感動すら覚えました(私、基本的に嫉妬心がないので)。それまでほとんど意識していなかった“翻訳文のクオリティ”を意識するようになった一番のきっかけがこれです。

この本、原文を読んでもらうと分かるのですが、ミックのプレイスタイルにも似た、少し難解でアーティスティックな文章です。これを日本語として成立させるために、U氏からは最初の段階で「おい、超訳でいくぞ、わかったな!」と指示がありました。つまり、文章を読み込んで、私が理解した内容を、原文とまるっきり同じではない“日本語らしい表現”で文章を作るというもの。今で言うTranscreationです。

校正担当のボランティア編集者3人から「あのキツイ内容がそれほど悲惨に感じないのはMikiさんの翻訳に寄るところが大きいですよ」と言われたときは、涙がでそうなくらい嬉しかったです。

通称ミック本は部数限定出版だったため、すぐに売り切れてしまい、しばらくの間、古本屋で高額取引されていました。そんな中、どうしてもこの本を読みたくて国立国会図書館まで足を運んで読んだ書籍編集者から、この数年後に共通の編集者を通して「ぜひ一度仕事をしたい」という話が舞い込んだのも、すべてU氏とボランティアで校正してくれたベテラン編集者たちのおかげです。

ハッキリ言えば、どんな駄文でも優れた編集者の手にかかれば素晴らしい文章になるのです。編集者なくして素敵な本というのは存在しないとも言えます。もちろん、編集者のクセが反映するので、読者によってはそのクセが気に入らないこともあります。でも、文芸翻訳において翻訳者と編集者は二人三脚で日本語版を生み出すコンビです。

他の翻訳家は知りませんが、私の場合、書籍翻訳で異なるスタイルの編集者たちと組ませてもらったおかげで、ここ4年間で翻訳クオリティが格段に向上しました。彼ら彼女らからの“校正”というフィードバックが自分の文章の足りない部分を指摘してくれるので、足を向けて寝られないほどありがたい!

さて、ミック本を読んで私と仕事をしたいと熱望してくれた編集者と作ったのがジェシー・フィンク著『AC/DC評伝 モンスターバンドを築いた兄弟達』です。このお話は次回で。

※上の写真はサンフランシスコ出張時に宿泊したホテルの部屋。こじんまりとして居心地がよく、とても趣のある素敵なお部屋でした。次回SFに行くときもここに泊まりたいです♪


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