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No.100 「きくひろ」 / その2・職人気質、心意気の銘店

No.100 「きくひろ」 / その2・職人気質、心意気の銘店

(No.097 「きくひろ」 / その1・板橋の大銘店との出会いの続きです)

日本経済新聞に載った記事を頼りに、何とか板橋駅近くの「きくひろ」さんにいきついた。お店の前で会ったご主人(大将)にその夜の予約をお願いして帰宅した。

2002年学習塾を始めて4年が経っていた。連れ合いの由理くんの体調が、徐々に良くなくなってきた頃だ。今晩予約できたことを告げると「久しぶりにフグが食べれるね」と喜んでくれた。美味しいかどうかの心配はあった。天然のフグと養殖のフグの差は、大概の人が分かる。

以前「週刊現代」で、10人のサラリーマンの方達が、天然物と養殖物の魚を食べ比べ、見分けがつくかどうか、どちらが好みかと言う面白い企画があった。ウナギ、ブリ、タイ、アユなど区別が案外つかず、味の好みも分かれた。養殖物の健闘が目立つ結果だった。

だが、フグだけは天然物と養殖物の区別がつき、味に関しても天然物の圧勝に終わった。それくらい天然物のフグと養殖物のフグの違いは鮮明なのだ。僕と由理くんも一度だけ、チェーン店の養殖フグを食べたが、二人共に「ダメだね、こりゃ。値段もそこまで安くないし」の評価だった。

車で約10分、板橋駅そばの踏切を渡り、滝野川口の駐車場に車を停める。池袋方面に歩き、最初の信号を左に曲がり、突き当たりに「きくひろ」の看板が明るい。引き戸を開け、挨拶すると、にこやかで綺麗な女性に「いらっしゃいませ。お二階へどうぞ」と声をかけられる。

後に馴染みになり、友人と訪れたときに、僕が冗談で「このお店、きくひろさんで一番偉いひと」と紹介する仲居のセツコさんとの初めての顔合わせであった。一階右の奥の方に昼間来たとき会ったきくひろの大将が料理をしている姿が見えた。キリリとした表情が、今宵の料理を期待させる。

靴を脱ぎ、玄関右脇の急な階段を登ると、2階お座敷は4人テーブルが5つ、アグラが苦手な僕は椅子席の方が好みなのだが、そこは仕方がない。(今は2階も椅子テーブル席になっています)先客は3人連れが一組と、2人連れが二組。フグの時期が始まったばかりの10月なのと平日を考えると繁盛店と判断できた。障子の部屋は小ぶりながら、整頓されていて雰囲気がある。

階段を上がる足音が聞こえた。先ほどの女性(セツコさん)が注文を取りにきた。まだ白子は時期的に小さいので、由理くんの好物あん肝とフグのコースをお願いして、飲み物はお茶。由理くんと僕は残念ながらお酒を飲む楽しみがないのだ。由理くん、仲居さんを評して「色っぽくて綺麗なヒトやねえ」。後年、セツコさんに関して面白い話を大将から聞くことになる。

東証(東京証券取引所)一部上場会社の社長さんと社員さんたちが「きくひろ」さんのかなりのお得意さんだった。会社の集まりがあり、社長さんがセツコさんに言った「いや〜、セツちゃんがいるから、きくひろに来ているんだ。料理はどうでもいいんだ」これを耳にした大将、社長を出入り禁止にしたそうだ。こういう職人気質の話、好きです。

フグのコースの始まりだ。つきだしに、フグの煮こごりが出る。素晴らしい旨さである。由理くん「いい仕事してはるね〜」。あん肝がくる。初めてあん肝が美味しいと思った。由理くん「これは、凄い。臭みが全くないやん」だった。綺麗に盛り付けられたフグ刺しがテーブルを彩る。天然の旨みである。「養殖やったら許さんかったけどね」。ポン酢も辛さを抑えた好みの味だ。フグの唐揚げも見事な出来栄えだった。「揚げものは家では上手くできへんもんね」。それにしっかりと量もある。フグ鍋の始まりだ。お野菜も美味しい、フグの量が凄い。都心のフグ料理屋さんの1,5倍はありそうだ。「もう一人いても十分やね」。鍋の後のオジヤ、お餅を入れてもらい食す。うま〜い。「これがたまらんのやね〜」。

大満足も大満足、最初から最後まで素晴らしい。美味しいものを出す。心意気が感じられる凄いお店があったものだ。お勘定で、また驚いた。都心のフグ料理屋さんより美味しくて、代金は3分の1の値段であった。「信じられん値段やねえ〜。しんくんまた来よ」。

かくして、都心の料理屋さんから足が遠のいた。フグは冬のイメージが強い。ポン酢に使う柑橘類が冬のものであることと、フグの白子が冬のみだからである。最初の「きくひろ」さん訪問以来、毎年冬に2、3度訪れた。由理くんと二人で、時に友人も交えて。

後に言われるが、お洒落さん由理くんと職業不詳の服装の僕は、きくひろさんにとって「何している人だろうね?」だったそうだ。どこに行ってもそう思われるし、思われるのが好きなのだ。

2009年11月由理くんとの最後の外食も「きくひろ」さんだった。由理くん逝去の後、思い出のお店「きくひろ」さんは、2年訪れることが無かった。フグ料理は基本的に二人以上であることも理由であった。

2011年冬、塾の卒業生なつみちゃんが、食事に誘ってくれた。ふと「きくひろ」さんが思い浮かんだ。なつみちゃんと共に久しぶりに訪れたとき「お久しぶりですね」セツコさんが覚えてくれていて嬉しかった。やはり素晴らしい美味しさだった。由理くんを思いだしてしまった。セツコさんに、由理くんが亡くなったことを伝えて「きくひろ」さんを後にした。

その後は、ことあるごとに何度も「きくひろ」さんに足を運んだ。38歳で大学に進んだし、塾の仕事やマジック関係でも若い友人が多い。由理くんの意思と言うこともあり、若い友人と食事をするときは、基本僕が御馳走する。それもあるのだろう、若い女性と二人で「きくひろ」さんを訪れることもよくあった。

親しくなり、こちらの正体もバレた時に、大将に言われた。「あいつ、いやらしい野郎だな。奥さんが亡くなったら、若い女ととっかえひっかえ来やがって。出入り禁止にしようかなと思ったよ」返していってやった「大将と発想一緒にしないでくださいよ〜。よかった〜、出入り禁止にならなくて」

冬しか訪れることのなかった「きくひろ」さんのつきだしに「フグのお寿司」が出るようになった。大将の息子さんがお寿司屋さんで修行して戻ってきて「きくひろ」さんの若大将として、包丁をふるうようになっていた。聞いてみた「若大将のお寿司だけって食べにきていいの?」返事は「冬10月から3月いっぱいはフグ専門になりますので、お寿司はそれと一緒だけです。夏はお寿司だけでも大丈夫です」との返事だった。

4月だったか、一人でカウンターに座り若大将の握りを味わった。正直、それほど期待していなかった。僕にとっての「きくひろ」さん、第2章の始まりだった。

・・・続く

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