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No.086 旅はトラブル / ローマ、ブルガリ本店にて

No.086 旅はトラブル / ローマ、ブルガリ本店にて

イタリアのみ五泊の旅が初めてのヨーロッパ訪問だった。ミラノ二泊、フィレンツェ一泊の旅程を終えて、ローマに向かった。ローマ市内、バチカン市国システィーナ礼拝堂には、ミケランジェロの大傑作「天地創造」がある。生涯に絶対観ておきたい作品の一つだった。もう一つ、訪れなければならない所があった。宝飾品の有名店「ブルガリ」ローマ本店だ。

イタリアに行く前に、連れ合いの由理くんの友人ケイコさんから、ブルガリの時計を買ってきて欲しいと頼まれた。日本で購入するよりイタリアでの方が安いとのことだった。高級宝飾店「ブルガリ」の時計の中では、安価の部類だが、それでも12万円の定価がついている。

ブルガリローマ本店は、ローマ観光名所の一つ、スペイン広場のすぐそばにある。スペイン広場は、映画「ローマの休日」のワンシーン、王妃を演じるオードリー・ヘップバーンがアイスクリームを食べる所としても知られている。広場中央を背にしてまっすぐに伸びる道がコンドッティ通り、高級ブランドショップが軒を連ねるローマ随一の有名な通りである。日本で言えば、さしずめ銀座通りといったところだ。

この日正午頃に、混雑の中、システィーナ礼拝堂「天地創造」を観た。ミケランジェロはまさに凄まじい仕事をしたものだ。他にも沢山の見所があり、バチカン市国内でたっぷりと時間を過ごした。
しんや「いや〜、来て良かったね。ミケランジェロはやはりすごいねえ」
由理くん「人の数は、もっと凄かったわ〜」
確かに。
その興奮も覚めやらないまま、ブルガリローマ本店に向かった。

スペイン広場に着いたのが、午後3時だった。早速、コンドッティ通りに入りブルガリを探す。地図によると、広場からは左側、ショーウィンドウに宝石類が飾られているだろう。そのような店を見つけよう。通りに沿いブルガリを探したが見つからず、結構歩いて通りのおしまいまで来てしまった。
由理くん「あらへんねえ〜」
しんや「ここだよね、コンドッティ通り?」

目の前の、まさにイタリアといった色使いの服が飾ってあるお店の店員さんに英語で尋ねる。「ブルガリさん、どこですか?」店員さんがにこやかに指差したのは、広場の入り口近くだった。通りすぎてしまった?よく見てたのに。

戻ってみると、人ひとりようやく入れるくらいの小さな木枠のドアに「BVLGARI」と書かれたお店があった。ショーウィンドウも無ければ、壁に取り付けられているいくつかの窓にはカーテンが引かれていて中が見えない。これが、あの高級宝飾店ブルガリのローマ本店なの。
しんや「これじゃあ、分からないよね〜。通り過ぎちゃうわけだ〜」
由理くん「ホンマやねえ。開いてへんやん」

イタリアのお店はシェスタ(お昼寝タイム)で閉まる店も多く、ブルガリも午後は2時30分からオープンだった。だが、3時過ぎている。もう少し経てば開くのかな?通りの他のお店をウィンドウショッピングして時間を潰し、戻ってみると、まだ閉まっている。念のためと思い、ドアの所にいき、閉められたカーテン越しに中を覗いても何も見えない。

しんや「おかしいね。閉まっているみたいだね」
由理くん「ケイコちゃんには悪いけど、しゃ〜ないね。あきらめよ」
と、その時、光沢が美しいいかにも高級なスーツを着た中年男性と、これも見るからに美しいシルクのドレスを羽織った女性がブルガリのドアの前に立った。すると、閉まっていたブルガリのドアが内側に開いた。

由理くん「あれ、開いたやん」
しんや「今、開店かな。由理くん入ろう」
ブルジョワジーの香り漂わせ店内に入る二人に続いて、我々二人は閉まりつつあるドアの中に滑り込むようにして入った。

店内に入ると、ドアが閉められた。落ち着きなく店内を見渡すと、ショーウィンドウなどは全くない。大きめの机が、間隔をかなりあけて5個ほど扇を広げたような形で置かれ、向こう側に座る人の姿がある。机の手前側にはそれぞれ二つの革張りの椅子が配置されている。なんじゃい、これは。会社の応接間か、ここは。

戸惑っている我々に、グレーのスーツを着こなしたイタリア(たぶん)美人が近寄ってきた。おそらくイタリア語で話しかけられたのだろうが、うまく反応できない。次に、ゆっくりとした英語で「How may I help you?」いらっしゃいませ、ご用件は?ほっとした。「時計を見せていただきたいのですが」

イタリア美人は机の向こう側に移動して革張りの椅子に身を沈める。ふわっとした音が聞こえてきそうだ。蝶ネクタイをした筋肉隆々の男性がひとり、両手を後ろに回し、彼女の横に直立不動の姿勢で立つ。ボディガードだな、こりゃ。美人さん「どうぞおかけください」ちょっとクセのある英語で椅子を勧めてくれた。

椅子に座った。思った通り、ふわっとした感触にお尻を触られる。ようやく部屋の中を見る余裕が少し出てきた。壁にはモダンな絵画が数枚かけられている。茶色を基調にした、クラシックな事務所風店内に意外にも、見事にマッチしている。宝飾品は一切見当たらない。隣に座る由理くんを見ると、落ち着いて目の前のイタリア美人を見つめている。「きれいな人やなあ」くらいに思っていそうだなあ。

「何かお探しですか?」イタリア美人が尋ねてきた。英語を勉強してきて良かったと思った。イタリア語だったらもっと良かったかもしれないが。ケイコさんにお願いされた時計を見せて欲しいと伝えようと思ったら、隣の由理くんが、ごく普通に、日本語で僕に話しかけてきた。「買う時計は最後でええやん。いろいろ見せてもらお」

僕は由理くんの通訳と化した。
しんや「時計を見せて欲しい」
美人さん「ご予算はいかほどですか?」
しんや:予算だって、どうする、由理くん?
由理くん:200万から500万くらいでええんとちゃう?
この人、何考えているのだ〜!

予算を伝えると、美人さん、隣に立っている蝶ネクタイのプロレスラーもどきに耳打ちする。「もどき」は頷き、すぐにおせち料理の三段重ねのような木箱を持ってくる。美人さんが箱に手をかけ、スライド式に箱を開けると、ビロードの敷き物の上に整列している時計さまたちが数点見えた。なるほど、客にはこのように商品である時計さまなり指輪さまを見せるわけか。お店とお客、1対1の対応で接客するということか。

由理くんは、ん百万円の時計さまだか宝石さまだか分からないものをかけて「きれいやわ〜」と日本語で感想を述べている。「買うて〜」と言われたら、「買えませんで〜」と怪しげな関西弁で逃げようと決心していた。幸い「買うて〜」とは言われずに済んだ。ぼちぼちよろしいでしょうか、由理さま?うん、まあええわ〜。最後にケイコさんに頼まれたブルガリで最も安い時計の一つを買った。イタリア美人、流石である。動揺や軽蔑の色を、微塵もその美しい顔に浮かべなかった。ミケランジェロの生きた彫刻を、ブルガリローマ本店内で観れるとは思わなかった。

美人さんが時計を持って、机から離れた。由理くんが僕に言う。「あの綺麗なお姉さん、最初から、この人たち、こんな高いの買わへんて思うとったよ、きっと。そやから色々試さな損や思うてね」はあ〜、逞ましいかぎりです。脱帽。
「それより、ブルガリ、人見てドア開けるんやね、きっと。私たちのかっこみて、開けへんかったんよドア」
「なるほどね。それで納得だよ」
イタリアの自動ドアは、ちゃんと人の階級まで識別する優れものだったのですね。

左の片肘(かたひじ)をついて由理くんと話をしていた。ふと、自分の左手首にしていた時計が目に入った。僕は普段、時計はかけないが旅行ということで、時計をかけていた。あ〜れ〜、酒屋商売、サントリーの景品に付いていたビニールバンドのおもちゃのような一品だった。これ、イタリア美人さんに見られていたのかなあ。そりゃ、ジーンズに安物のシャツ、加えておもちゃの時計にしか見えないもの。おそらくブルガリローマ本店史上、最も粗末な客だったでしょうね。失礼しました。

ブルガリを出て、由理くんと二人で約束した。
「今度、ヨーロッパに来るときはメチャお洒落してこようね!」
スペイン広場に、日本で見るのと同じような夕焼けがかかっていた。

「お腹すいたね、何食べる?」
「何にしよかね?」
何気に手を繋いでしまった。久しぶりだった。


※2020年5月現在、ブルガリローマ本店の外装は変わり、シューウィンドウなども設けられています。


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