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No.220 旅はトラブル / オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅2012(22)トムさんご夫妻との出会い

No.220 旅はトラブル / オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅2012(22)トムさんご夫妻との出会い

No.219の続きです)

イングランド・コッツウォルズ地方、名前も知らぬ村のはずれにあった道端沿いの小さな墓所に別れを告げたあと、Lacock レイコックの村に向けてレンタカーFordフォードを再び走らせた。9月初めの太陽は、南寄りの空のまだまだ高い位置にあった。

以前読んだどこかの本に「日本人は日々の暮らしに忙しずぎる。イングランド・コッツウォルズの村に三日もいれば、人生観が変わるだろう」と書かれていたのが印象に残っていた。オランダ・アムステルダム5泊のあとに訪れているイングランド・コッツウォルズ地方も三日目になる今、先を急ごうとしないドライブ気分は、人生観の変化の端緒についたのだろうか。

緩いカーブを抜け真っ直ぐな道に出ると、道の片側にぽつぽつと家が見え始め、少しずつ家が増えていく。すぐに家の数は減っていき、また緩いカーブとなって牧草地の上に牛や馬が見えたり、両側の木立にFordフォードは挟まれたりする。何度も何度もいっときの愛車を一時停車して、観光客の一人も見えない、名も知られぬ村とも言えないコッツウォルズの地の一部を味わおうとの誘惑を感じつつも、対向車に合うことも少なくLacock レイコックの村を目指した。

テットベリーの街を出て何度目かのラウンダアバウト(環状交差点とも訳される)を経て少し走ったところ、何件か家が連なった先の右側に横道が目に入った。ハンドルを右に切り、Fordフォードを停車させた。陽光に照らされたコッツウォルズの地の誘惑に抗えなかったものかと、ひとり微笑み車外に出てみた。

走ってきた国道と違い、横道は舗装されておらず、かといってでこぼこでもない。強い風の日には薄く埃が立ちそうな、雨の日には水が染み込まないような、灰白色の土が表面を成す硬質な道を進んでゆく。

家々を見ていくと、コッツウォルズ地方独特のハニーストーンと呼ばれる石壁を持つ家々ではなく、日本の住宅街にも見られるモダンな建築資材が使われている。日本の住宅街と大きく違うのは、低く積んだ石が高い塀の代わりを成していることで、開放感を生み出している。

歩く人の姿はなかったが、一匹のむく毛の犬が僕の少し前を歩いていた。首輪が付いていたので、近所で飼われている犬だろう。僕が身をかがめ「よしよし」と手招きすると、愛想よく近づいてきたので頭を撫でて少しの間戯れた。飽きてきたのか、彼は僕から離れると近くの家の庭の木におしっこをかけ始めた。世界のどこでもわんちゃんは変わらないか、僕は小さな声で笑ってしまった。

暑いくらいの日差しのもと歩みを続けていくと、左手にある家の庭で腰をかがめガーデニングをしている男性が見えた。すぐそばに気軽な服装で帽子を被る女性が立ち、男性をにこやかに見ている。二人の横を通るとき、女性と目があったので「Hi! Nice day, isn’t it? こんにちは、いい天気ですね」と挨拶すると「It is! 」と返答をもらえ、顔を上げた男性と目が合った。僕はニッコリと「Are you doing some gardening? ガーデニングをなさっているのですか?」と、お得意の民間外交の始まりだ。

おふたりは僕と同じ年頃かTomさんとJudyさんのご夫妻、英語の教科書に出てくる馴染みのお名前ですぐに覚えられた。僕が日本から来たと言うと、Tomさんが少し前に読んだのが日本の小説の英訳で「mathematician 数学者」が出てくると言う。思いあたったのが小川洋子さんの書いた「博士の愛した数式」だったので、それかと尋ねると、いやもっとクラシックな小説だとのことだ。Tomさん「本のタイトルを確かめたい。家の中でお茶でもどうぞ、Shinya」となり、ホイホイと付いていく。

残念ながら本は見つからず、いまだ謎のままだが、Tomさんご夫妻とコッツウォルズの事や、映画やら音楽の話で盛り上がった。お二人はウエールズ出身で、退職後はコッツウォルズに住みたいと思っていたそうだ。2年ほど前にこの家を購入したのだが、なかなか物件が出ないそうで自分達は幸運だと言っていた。

僕が、映画「ライアンの娘 Ryan’s Daughter」のロケ地を見るためだけに、アイルランドのディングル半島を訪れた話をすると、お二人とも監督のデイヴィッド・リーン David Lean は大好きで「アラビアのロレンス Lawrence of Arabia」「ドクトルジバゴ Doctor Zhivago」「旅情 Summertime」「戦場にかける橋 The Bridge on The River Kwai」、サラ・マイルズ Sarah Miles、ロバート・ミッチャム Robert Mitchum、ジョン・ミルズ John Mills、ピーター・オトゥール Peter O'Toole、アレック・ギネス Alec Guinness、オマー・シャリフ Omar Sharif、キャサリン・ヘップバーン Katharine Hepburn、ロッサノ・ブラッツィ Rossano Brazziと映画の題名や俳優名がぽんぽん出てくる。

違う土地で育っても、過ごした時代が共通の喜びがあった。ビートルズ Beatles には痺れたよ、ボブ・ディラン Bob Dylan は今も元気だね、ローリング・ストーンズ Rolling Stones のライブでは盛り上がったよ。・・・話は尽きなかった。

昨日までテットベリーに二泊していたと僕が言うと、Tomさん「ここからテットベリーの街の教会の塔が見える。二階に行こう」と席を立つ。付いていき、二階の窓から彼方を見ると確かにそれらしき塔の先端部が真っ青な空の下に屹立している。Tomさんが僕に話しかけた「You were living in the town, Tetbury. あの街テットベリーに『住んで』いたのですね。」と。

英語の教鞭も取っている身だ、本の上だけの知識を生徒に伝える。曰く「『live住む』を『stay滞在する』の意味で使うことはあるよ。進行形の基本概念は短い時を表す。『I’m living in Tokyo.』は『I’m staying in Tokyo.』の意味と言っていいよ。例を挙げるとそうだね、福島県いわき市に住む高校生が大学受験のために1週間くらい叔父さんの家にお世話になっているときとかだね」

テットベリーの教会の塔の方を指差し、僕はTomさんに柔らかく返した。「Well, I wasn’t LIVING in the town, but I was STAYING there. えーと、街には『住んで』はいませんでした。『滞在して』はいました。」Tomさんは、僕の肩を軽く叩き、笑いながら言った「Your English is TOO perfect! あなたの英語は完璧『すぎる』ね!」と。

生徒たちへのお土産話もできた。「オレが教えたように、ネイティブスピーカーも『live』を『stay』のように使っているのを実感したぞ」

日本に来たことがない二人と東京で再会することを約束して手を振った。陽は随分と西に動いていた。「Lacock レイコックの村か、今回のコッツウォルズの旅では訪れるのをすっぽかすのもアリかな。そうすればまた来たくなるかな。いや、そんなことしなくても、すぐにでもまた訪れたいよ、ここコッツウォルズには」

「Lacock レイコックの村」に合わせたナビを、次の宿泊地「Lucknam Park Hotel and Spa ラックナムパークホテル」に変えようか迷った。そんな迷いもまた楽しかった。

・・・続く


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