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Re-posting No. 037 英語・挫折の歴史(6)「熊本の怪人」坂本さんとの触れ合い

Re-posting No. 037 英語・挫折の歴史(6)「熊本の怪人」坂本さんとの触れ合い

(昨年投稿したNo.037を大幅に書き直しました。Re-posting No.036の続きです)

「そんなものは図書館で借りればいいです」背後から、危ないセリフが耳に飛び込んできた。前にいるショートカットが似合う英語リスニング教材販売員の顔に、歪みが浮かんだのを確かに見た。今から三十数年前、池袋西武デパート書店「リブロ」が、まだ本館8階にあり、後に倒産することになる英語教材販売会社「リンガフォン」のコーナーの前での出来事だった。

振り返ると、ショルダーバッグを肩にかけ、両手はポケットに、マスクにメガネをかけた同年代の男性(当時・20歳後半)が繰り返した。「買わなくていいです。図書館で借りればいい」男性はマスクをはずしつつ「覚えてませんか」と問いかけてきた。

二人きりならばともかく、販売員の目の前で、ある意味常識に欠けるというか、勇気があるというか、こんな言葉を言える友人・知人の顔は、すぐには思い浮かばなかった。その言葉をまるで不愉快に感じなかったのは、男性の言葉がどこか木訥で、無知で騙されそうになっている僕を救おうという気概なようなものが含まれていたからかもしれない。もっとも、リスニング教材は購入する気もなく、綺麗な販売員さんゆえの冷やかしだったので、男性の心配は杞憂ではあった。

こちらの戸惑いなどどうでもいいように、男性は続けた「朝日カルチャーセンターで一緒だったじゃないですか」。そう言われて、一年半ほど前の記憶が断片的に呼び覚まされた。「あ〜!お久しぶりです。お茶でもどうですか」無数の記憶の中から男性の名前を釣り上げようとしながら、女性販売員の方に振り返った。「ごめんなさい。また来ますね」彼女と再び会うことはなさそうだった。こののち沢山の笑いを分かち合う友人「熊本の怪人」(No.082 No.083)坂本了さんとの再びの偶然の出会いだった。

坂本さんとは朝日カルチャーセンター「初級英会話」で、半年ほど一緒だった。毎週水曜日午後2時からのクラス、平日お昼に、優雅に時間の取れる奥様方に混じり、ただ一人の異性だったミスターオノに、ミスターサカモトが加わった。授業終了後のケーキと紅茶は、山下さん(Re-posting No.036)をはじめとする女性陣の楽しみだった。二人のミスターも、何度か優雅な集いに加わらせていただいた。

最初の出会いのときも再会の時も、僕は酒屋商売で生計を立てていた。坂本さんは、公立小学校の警備員をしながら、慶應大学の通信講座を受講していた。警備員の職は勉強時間の確保のためだった。慶應の通信講座で、大学卒業までの資格を得るのは、受講者の約5%ほどに過ぎないのは知っていた。なんとなく出会い、なんとなく疎遠になっていく人間関係は珍しくもない。一年半後の再会まで、僕と坂本さんはお互いに過去の人となっていた。

再会のとき、僕は英語の学習継続で壁に当たっていた。別の記事で詳しく触れるが、この時、スタントンスクール市ヶ谷教室に通い始めていた。やはり英会話学校であったが、文法学習の必要性を痛いほど感じるようになっていた。

西武デパート内の喫茶店で、以前と違い「奥様たち」の同席なく二人だけで紅茶を飲みながら、お互いの近況を語り合った。坂本さんは、慶應大学の通信講座を継続する傍ら「聖書」(彼はクリスチャンではありません)や英語以外の言語に興味を持ち始め「英会話」からは離れていた。(No.082 No.083

そこで坂本さんに提案する。「お互いの刺激のために、共通の教材で学習しませんか。週に一度電話で、成果の確認を兼ねた問題の出し合いをしましょう。『英会話』で知り合った仲ですし、あまりお堅いものは避けませんか」坂本さんは軽く返答する。「いいですね、最近出た本でいいものがありますよ」

二人で再び「リブロ」の教材売り場に戻り、市原敬三著「必ずものになる話すための英文法(研究社・旧版)」を購入した。この数ヶ月後に出版される「Part2」と合わせ、詳しい解説はあまりなく、英語の例文とその日本語訳が1170題無味乾燥に並んでいた。表紙が野暮ったく、自分だけなら絶対に選ばない装丁だった。別売りのカセットテープも購入して「刺激し合う」準備が完了した。

酒屋商売をしながら、耳にウォークマンをつけてテープを聞き始めた。今のようにワイヤレスもなく、頭の上に小さなヘッドホンをかけるタイプだった。流石に接客中は音を一時停止したが、ヘッドホンは付けっぱなしだ。

夜に来たお客さんに聞かれた。「勝ってる?」日本語の特徴、主語がない。「巨人(ジャイアンツ)が勝っている」と言う意味だった。野球中継を聞いていると思われたようだ。昼に来たお客さんに尋ねられた。「上がってる?」投資をしているような風貌ではないと思うが、短波放送で流されている株式市況を聞いていると判断されたようだ。音楽を楽しんでいるとは思われることは多かったが、事情を知る親しいお客さん以外に「酒屋さん」と「英語の学習」を結びつける人はいなかった。

耳元から、女性の声でまず日本語が流れる。今でも諳んじることができる『案外使えないwe, you, they 』の項の例題第一問、かなり難しめの問題だ。「うちの会社は実力主義と年功序列の折衷を採用しています」少しの間をおいて男性の声が、英語の特徴である『強弱のリズム』で僕の耳に届く。「In our company we ‘re adopting a combination of the merit and seniority system.」

坂本さんという同胞(はらから)を得て、英語の学習を楽しく続けることができた。この「ライバルを作る」方法は、人との触れ合いが好きな僕に合っていたのだろう。これから数年後に大学受験を目指した時にも、若きライバルとして藤ノ木くんとTOEFLの点数を競うこととなる(No.149 No.151 No.165 No.166 No.167      No.168)。

毎週ごとの電話、夜11時に電話をして、坂本さんと問題の出し合いが始まる。日本語訳を伝え、それを英語で答える。5題ごとに交代、おしゃべりも交え1時間ほど続く。坂本さんが日本語で質問する。「じゃあ、初めは『今年はミカンが不作でした』」僕が英語で答える「えっと『We had a poor crop of tangerines this year.』」「次の問題いきます『いつ確かな答えがいただけますか?』」間髪を入れずに答える。「それは、『How soon can you give me the definite answer?』」「小野さん、よく覚えているなあ!」電話の向こうからの坂本さんの声が気持ち良い。

1170題、ほぼ完璧に記憶した。一つ壁を超えた実感を持てた。

・・・続く

※「必ずものになる話すための英文法」は、販売実績が良かったのか「初級編」が後に販売され、初めに出版された版は「中級編」として再版された。写真に使った版は後発のものです。初めに購入した本はボロボロになって捨てました。保管しておけば良かったー!

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