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No.140 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(6)保養地カスティリョンチェッロから古都フィレンツェへ

No.140 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(6)保養地カスティリョンチェッロから古都フィレンツェへ

No.138 No.139の続きです)

イタリアトスカーナ地方の西海岸の街「castiglioncello カスティリョンチェッロ」の探訪をマミと楽しんで、マミの旦那さんカルロくんと二人の子どもが待つルイーザお母さんの別荘へと向かった。

西に傾きつつある陽の光が樹々の間を、時には大きく時には小さくすり抜けて運転席のマミの横顔を照らす。あの「擦り切れたタイヤ倶楽部」の5人の陽気なじい様たちも、夕凪近い静かな風を受けて、まだお喋りを続けている様子が目に浮かぶ。

マミが舗装された車道から、右手の横道に入ると車は軽く上下に揺れた。ほんの少し走ると、小さな庭に木のテーブルと椅子、そして子ども一人用のブランコがあり、その横に立つ二階屋の家がルイーザお母さんの別荘だった。

家に入ると女の子が元気に走り寄ってきて、その後ろに子どもを抱いた長身の男性が微笑んでいる。4歳になるハナちゃんと、2歳のフランコくんとカルロ旦那さんだった。

カルロくんと英語での挨拶を終え、キッチンへ案内されるとルイーザお母さんが料理の真っ最中だった。お母さんは気さくに「チャオ!」と言ってくれた。「チャオ」は、イタリアでは「さようなら」の他に「こんにちは」の意味でも使うのを知った。キッチンテーブルに並べられたピーマンや香草類が、日本のお店に並ぶものよりも、心持ち色鮮やかに見え、イタリア家庭料理への期待を高めてくれた。

ルイーザお母さんの野菜をふんだんに使ったイタリアン家庭料理も美味しかったし、ハナちゃんを中心に演じたマジックも喜んでもらえた。翌日のピサまでのドライブ旅行もマミ家族4人と僕とで行って、すっかりマミとカルロくんにはお世話になった。

二日間のイタリア語と英語と日本語でのチャンポンコミュニケーションは笑いの連続で、由理くん亡き後の初めての旅で、風光明媚な観光地を訪れるよりも、僕はやはり「人との触れ合い」に喜びを感じるのだなと、あらためて思い至った。

ルイーザお母さんの別荘では2泊お邪魔した。次の訪問地フィレンツェでの宿は、雑誌「フィガロ」に掲載されていた10部屋ほどのプチホテルに決めた。小さいながらも3つ星が付けられていて、場所はイタリアルネサンス時代の名品が煌めくウフィツィ美術館のすぐそばのようだ。

良き思い出を作れた「castiglioncello カスティリョンチェッロ」を後にして、古都フィレンツェを目指す。

観光客で賑わうフィレンツェ駅からタクシーを拾ってホテルへと向かう。こんな細いところ入れるのかと思われる古都の迷路のような横道を入り、タクシーは停まった。ドライバーさんは、細い道を入った所にホテルがあることを僕に告げ、少しのスペースしかない所で車を二度三度切り返して、来た道を戻っていった。

タクシーで来なければおよそ辿り着けないだろうと思われる迷路の一角にホテルの入り口があった。ガラスのドアが個人宅と違う匂いを漂わせ、ホテルの名前が書かれたプレートと、来客は「呼び鈴」を押すようにとの貼り紙があった。ここまで外観が宿泊施設らしくないホテルは初めてだった。ヨーロッパのプチホテルの第一印象は「洒落た友人の隠れ家」だった。

指示に従い呼び鈴を押すと、ガチャリと無愛想な音がしてドアの上の方から「ボンジョルノ please come in!」との女性の声がインターホンから流れてきた。見るとドアの上に防犯カメラが取り付けられていた。新たな迷路への歓迎の挨拶のような気がした。

・・・続く

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