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Re-posting No.055 英語・挫折の歴史(10)まるで分からなかった仮定法

Re-posting No.055 英語・挫折の歴史(10)まるで分からなかった仮定法

(昨年投稿したNo.055を大幅に書き直しました。Re-posting No.042の続きです)

首をひねりっぱなしの僕に、ミスターマイルズが英語で一生懸命説明してくれている。ホワイトボードに車や人やらのイラストを描いてもくれるのだが、ついていけない。クラスのみんなに迷惑をかけているなとの思いはあったが、分かったフリをするのはもっと嫌だった。

開いたテキストの左側に、煙を出し飛んでいる飛行機や数台の消防車などのイラストがあり、右のページに男女数人の顔のイラストとその横にそれぞれの英語のセリフが書かれている。イラストから何となく状況を掴むことはできた。

渋滞などの理由で飛行場に着くのが遅れた数人が、怪我の功名というべきであろう、墜落してしまう飛行便に乗り遅れて難を逃れたと言う状況での会話だ。「もし渋滞にあっていなかったならば、飛行機事故に会っていただろう」のような形を持つ文章、文法用語で言えば「仮定法過去完了」基本の形が「If (s) had p.p.~, S would (could・・) have p.p.~」だ。

ミスターマイルズに「オレを無視して、先に進んでくれ」と頼んだ。「いいや。 しんや、もう少しやってみよう」と言ってくれたのは嬉しかったが、日本語の助けが無ければ無理だと思ったことを告白しておく。

40数年経った今でも鮮明に思い出せる、スタントンスクール英会話学校市谷校でのある日の授業の風景だ。(Re-posting No.042)小さなビルの一室に、10人ほどの同級生が「コ」の字形に座っているので、否応なくみんなの表情が見て取れる。皆の振る舞いの中に、授業についていけてない僕に対する憐れみや侮蔑の色が感じられなかったのが救いだった。

面接の時に英語でマジックを披露したりしたので、一番上のクラスに入れられた(Re-posting No.042)。僕を除くクラス全員、英語のみならず他の勉強もキチンと学び、大学卒業まで至った方達だった。僕は高校卒業後、二年間の浪人生活の後、大学進学を断念して、家業の酒屋商売を継いでいた。

中学校時代は英語が大嫌いだった。(Re-posting No.016)ただ、定期テストでは点数が取れていた。教科書に出てくる単語や文を覚えれば、何とかなった。学年上位の成績だったが「オレ英語わかっていないな」との自覚はあった。高校時代はドロップアウト、授業も聞いていなかったので、英語のテストは赤点続きだった。大学浪人時代は二年間で4日しか予備校に行かなかったのだ。(Re-posting No.023

英語を聞き取れて話したい、その思いから、社会人になってからは会話の英語ばかり練習していた。今にして思うと、楽しくはあったが、うわべだけの薄っぺらい勉強だったのだ。「日本は初めてですか?どちらからいらしたのですか?」答えを聞いて、その後の会話になると、ガクッとレベルが落ちるのをどうにかしたかった。

スタントンスクールでの落ちこぼれのすぐ後、分厚い英語の文法書を買ってきて、真っ先に「仮定法」の箇所を開いた。なるほど「仮定法過去完了」なるものがあることを知り、「文の形を理解していれば、授業についていけたのに」と、皮肉にも仮定法過去完了にピッタリの感想を持った。文法書の他の箇所を見ると、使役動詞や知覚動詞、時制の一致など未知の世界の話だらけだった。

この後、英語に関する本を読み漁ることとなる。「ネイティブスピーカーの英文法」シリーズや「なんで英語やるの」など、すごく刺激になった本もある一方、途中で捨てたくなった本もあった。英語の学習を始めた頃は、いわゆるハウツー本が役に立ったが、英語の本質に迫る話が読める本が好きになっていった。

そしてまた、母語である日本語での自分の知識や語彙を超える英語も、母語である日本語での教養や表現を超える英語も身にはつかないであろうと言う当たり前の答えにも至り、結果として生来の好奇心が様々な分野に広がることになったように思う。

理解の遅い自分を温かく見ていてくれた、スタントンスクールの同級生たちに早く追いつきたかった。

・・・続く

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