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No.141 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(7)フィレンツェ「お一人様ディナー」顛末記

No.141 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(7)フィレンツェ「お一人様ディナー」顛末記

No.139 No.140の続きです)

ドアを開け、トラベルケースを持ち上げて狭い階段を4、5段上がった右手側に小さなフロントがあり、立ち上がった東洋系の女性と目があった。「Hello」と語りかけると「こんにちは、お待ちしておりました」と綺麗な日本語が返ってきた。

ホテルの従業員の一人で、ケイコさんとのお名前だった。「いや〜、迷うところでした。隠れ家の雰囲気、いいですね〜」との僕の戯言にケイコさんは「ええ、迷う人が多いんですよ。小野さん大丈夫でしたか」と、こちらに合わせたオトナの対応を見せてくれた。

連れ合いの由理くん亡き後の初めての「ひとり旅」で、試みようとしていたことがある。それなりのレストランへの「お一人様ディナー」だった。日本での「ひとり外食」はラーメン屋さんとかお寿司屋さんとか、何となく「ひとり」でも入りやすいところに限られていた。フレンチやイタリアンレストランを一人で楽しんだことは無かった。

ヨーロッパでのディナーは「カップル」が当然と見なされるのは承知している一方で、世界共通の「正体の知れない旅人の特権」もある。身なりがそれ相応であれば、一人でも大概の場所は受け入れてくれる。

日本に戻ってからも、また世界のレストランを楽しむための「お一人様でのそれなりの飲食店への慣れ」を、この旅で養っておこうと考えていて、トラベルケースの中にはジャッケットとネクタイと手入れされた靴などが入っていた。

雑誌のフィレンツェ特集の中で紹介されていた「Ristorante Alle Murateリストランテ・アッレ・ムラーテ」に目をつけていた。店内に14世紀に描かれた詩人ダンテの肖像壁画があり、地下にはローマ時代の遺跡もあると言う。値段も良心的だったので、フィレンツェでのディナーの第一候補だった。

敬愛するイタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ作品「フェリーニのローマ」の中のエピソードの一つに、地下鉄工事中に古代の遺跡を発見したものの、極彩色の壁画が外気に触れて色褪せていくシーンがある。このフィレンツェのレストランの案内記事を読んだ時、セットを作り撮影したと言う凄まじいばかりの映像シーンを想起させられた。

レストランの場所を訪ねてみると、ホテルから徒歩5分ほどのところで、ケイコさんは訪れたことはなかったが、評判はいいとのことで、電話で僕のために夜8時の「お一人様の席」も確保してくれた。

小ぶりながらも整頓され、趣味の良い調度品が味わい深い部屋が3日間のフィレンツェ 滞在を楽しいものにしてくれそうだった。荷物を片付けて、20年ぶり2度目の古都フィレンツェの街へと足を踏み出した。

日が暮れるまで街歩きを楽しみ、一度ホテルに戻った。フロントにはケイコさんではなく、メガネをかけたイタリア人男性がいて微笑みを浮かべ僕に部屋の鍵を渡してくれた。

真っ白なシャツに緋色(ひいろ)のネクタイを締め、濃い目のグレーのジャケットを羽織り「お一人様ディナー」デビューを果たすべく「遺跡のレストラン・ムラーテ」へ向かう。

レストランの入り口が分かりにくく少しだけ迷ったが、無事にレストランに入ると、壁に取り付けられた間接照明が左手側のバーカウンターを照らしていた。まさにフェリーニの映画に出演していそうなグラマナスな女性がソファから立ち上がり「ヴォンジョルノ How may I help you?」とイタリア語の挨拶の後に英語で声をかけてきた。東洋人には英語で話しかけるとかのマニュアルでもあるのだろうか。それとも予約の際にケイコさんが何か伝えてくれたのだろうか。

名前を告げると、レストラン内の左奥の席に案内してくれた。隣に若い白人男性がやはり「お一人様」で座り、メインディッシュであろうか、肉を切り分けていた。一応英語で「Excuse me.」と軽く言って腰を下ろした。

ショートカットが素敵な美しいイタリア人(おそらく)ウェートレスさんに注文を出して、店内を見渡した。テーブルにはキャンドルが灯り、シャンペンらしきボトルがすでに置かれている。これは飲んでいいものなのかな?テーブルクロスもかかっていて、「お一人様でのそれなりの飲食店への慣れ」には、最適のお店選びのように思われた。「ダンテの肖像壁画」は見つけられなかった。

お隣に座る「お一人様」男性はデザートに入ってたし、ウエートレスさんに英語で話していたので「Excuse me, but may I ask where you are from? 失礼ですが、どちらからいらしたのですか?」話しかけてみると、アメリカシカゴ出身のロイさんで、僕同様「イタリアひとり旅」と言うことで話が盛り上がった。

ロイさんは、旅行会社に聞いて「リストランテ・アッレ・ムラーテ」を紹介されたそうだ。お互いに「それなりのレストランに男性ひとりで珍しいな。ミシュランガイドの調査員か?」との思いを抱いていたと笑い合った。ロイさんはフィレンツェ在住の友人と会う約束があるので、お先に失礼となった。

前菜が運ばれてきた時にテーブルの上のボトルは何かと尋ねると、サービスのシャンペンでご自由にどうぞと、はじめの一杯を注いでくれた。なるほど、食事の時にアルコールを嗜(たしな)むのは、ここイタリアでは当然のことと見なされているわけか。以前の経験(No.139)から「グラスワイン2杯」が僕のアルコールの限界と学んでいるので、シャンペンと言えど飲みすぎないように心して、程よい味付けの温野菜に舌鼓を打った。

次のお魚料理も、量も適切で美味しかった。ウエートレスさんに「Delicious! 美味しいです」と感想を伝えると、その度ににこやかな笑顔が返ってくる。ここまでで、ゆっくりとシャンペンを一杯だけ飲んだ。ボトルにはまだまだ残っているが、間違っても調子に乗ってはいけないぞと言い聞かせていると、ウエートレスさんが「シェフが挨拶したいそうです」と告げてきた。

「Delicious! 美味しい」を連発したので、シェフ殿嬉しくなったかな。程なくやって来た黒の頭巾に白の上下の調理着の長身の若い男性に「こんばんは。ようこそいらっしゃいませ」と挨拶された。この美味しい料理の数々が日本人シェフの手によるものだと分かり、愛国心に満ちているわけではないが、単純に嬉しくなった。

とても感じの良いシェフで、「お世辞抜きに美味しいです」との僕の感想を聞いた後に「量は如何ですか。多すぎませんか?」と尋ねてくれた。「やせの大食い」としばしば言われる僕には丁度良いくらいの量分だったので、そのように伝えると「ほっとしました。日本人で残される方もいましたので」と言う。仕事に対する心意気の高さも頼もしい。

シェフが厨房に戻り、メインの肉料理が運ばれてきた。こちらも美味しくいただいていると、ウエートレスさんが鮮やかな色の液体が入ったグラスを持ってきた。素敵な笑顔を浮かべて「シェフからのご馳走です。当地自慢のフルーツワインです」

好青年のシェフのご馳走、チャーミングなウエートレスさんのお運び、むむむ、これは飲まないわけにはいかないなあ〜。アルコール度数はどのくらいなのだろう?ここまでに飲んだのはアルコール度数低めのシャンペンをグラス一杯、なんとか大丈夫かとフルーツワインを口にする。甘くてすこぶる美味しい。

デザートも済み「お一人様ディナー」を振り返りながら、紅茶をいただいた。フルーツワインでの酔いもどうにか大丈夫のような気がする。このレストランの見どころ14世紀制作の「ダンテの肖像壁画」は、僕の座った席の斜め後方階段を上がった中二階のような箇所に描かれていた。

再び出てきてくれた日本人シェフの方が、わざわざ一緒に階段を上がってくれて壁画の由来などの説明を始めてくれた。その時である、急に頭の片隅が揺れるような感触に襲われた。シェフの方の声が遠くに聞こえるような気もした。まずい、「軽井沢プリンスホテル転倒事件(No.139)」が思い起こされた。

僕の視線が定まらなかったのだろうか、あるいは体が少し揺れたのだろうか、シェフの方の説明が一瞬止まったように感じた。「大丈夫ですか?」声が遠くに感じ始めた。「ええ、大丈夫です。お勘定お願いします」ゆっくりと階段を降り、席に戻った僕は、気取られないように深呼吸を繰り返してみた。お勘定を済ませ、レストランをあとにする。

フィレンツェの街は夜の帳(とばり)が降りていたが、僕は自分の中の帳(とばり)が降りて石畳の上に倒れないようにとの意識で精一杯だった。「ここはイタリアだぞ、日本じゃないぞ。倒れたらさすがにまずいぞ」軽く頭痛も起きていたので、深呼吸を繰り返しながら、足を前に前にホテルの方向に向けていた。

この後、はっきりと覚えているのは部屋に入るや否やベッドに体を投げ出しネクタイを緩めたことくらいだ。「日本人観光客、グラスワインたった2杯で、フィレンツェの街で転倒」三面記事の一画を占めることは避けることができた。

部屋の中をふらふらとしながら、少しずつ意識が戻る中「自分のアルコールの限界はグラスワイン2杯だぞ〜」と言い聞かせ、やがて眠りに落ちた。

・・・続く


フィレンツェでお世話になったシェフの名刺が手元に残る。名刺をいただいたのが食事中だったのか、あるいは朦朧とした意識の中でだったのか思い出せない。「梶原圭司」さんとのお名前が記されている。

イタリア旅行中から思った、梶原さんは近い将来日本に帰国して、ご自身のお店をお出しになるだろうと。その時は絶対に足を運び、更なる精進の成果を味わおうと決めていた。

その後思い当たった時に何度か名前をネット検索してみたのだが、名前では行きあたらなかった。ご馳走して頂いた「当地自慢のフルーツワイン」のせいではあるまいが「梶原圭司」さんのお名前は、見えないゴムが切れたかのように、時折、頭の片隅からひょいと現れてきた。

今回、この記事を書くにあたって「梶原圭司」さんで検索すると、福岡市中央区で「リストランテ・ファンファーレ」を経営していることが分かった。僕の勘は当たっていた。ランチが済んだと思われる3時近くに電話をさせていただいた。梶原さんの奥様の声に続き、10年ぶりに梶原さんの元気な声を聞けた。

梶原さんも僕のことを覚えてくれていて嬉しかった。福岡は亡くなった連れ合いの由理くんが中学高校時代を過ごした街だ。知り合いも多い。近いうちに訪れてフィレンツェの話をしたいものだ。もっとも、僕が酩酊状態に陥ったことは、電話では触れていない。この記事のことを知らせると、梶原圭司さんの「そうだったのですか〜」との驚きの表情を直接見ることができなくなる。

何も知らせずに福岡市中央区の「リストランテ・ファンファーレ」を訪れて驚かすのが僕らしいなと思うのだが、う〜む、早く読んでもらいたい気持ちも強い。


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