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No.096 浪人2年生。秋その4・福岡での決心

No.096 浪人2年生。秋その4・福岡での決心

(No.095 浪人2年生。秋その3・由理さんと黒幕?の父隆司さんの続き・最初の段落はNo.095 最後の段落の再掲載です)

「それより、キミはどの大学目指しているんや?」野太い声で尋ねられた。「どの方面の勉強に興味がある」とか「何学部に行きたいの」ではなかった。「どの大学」だった。浪人2年目、籍を置いていた代々木ゼミナールは最初の4日間行っただけの親不孝、ここまでただの1ページも参考書を開いたことのない無駄の山、ただの1分も受験勉強もしていない遊民、目指す大学云々より、人生そのものの先行きが見えていない僕に、父隆司さんは、豪速球の問いをいきなり投げてきた。

放任主義と言える両親、父武と母ユウ子は、そのうち自分で見つけると、僕をある意味信用してくれているようだった。確信はなかったし、確かめたこともなかったが。「どこの大学を受験する」この問いは、学校の先生が形式的にする質問と思っていた。身近にいればいる人ほど「腫れ物に触る」問いかけ、話題だった。その腫れ物に、今日初めて会った父隆司さんは問うてきた。この家の「あるじ」はワシや。ここにおるんなら答えんとな、と言われているのか?

ミツコお母さんも、これを僕の顔を目掛けて投げた違反球と判断したようだ。「あんた、いきなり失礼やんか」あなたから、あんたに変わっている。「失礼なことあるかいな」父隆司は、グイと体を前に動かし「なあ、教えてえな」と口元に笑みを浮かべた。

この家に来て、僕がミーちゃんに学年を聞き「ねえ、教えて」とした仕草と同じだった。僕の目は笑っていたが、父隆司の目は笑っていない。確かだった。今度は、僕がミーちゃんの立場だった。思わず、由理さんをチラッと見た。助けが欲しかった。彼女は微動だにせず、表情の一つも変えず、父隆司の横顔を見ていた。目に入った壁の時計は10時を指していた。

仕方なく、行く気もなかったが日大の芸術学部です、と答えた。「ほう、なんでや」映画が好きなんです。「映画言うても、いろいろあるで。監督、俳優、裏方の照明とかやな」考えてもいないが一応答えた、監督に興味があります。「ゼニにならんで」そう、なのでしょうね。「その上、あそこは募集人数が少ない。偏差値の割に難しいで。過去問見たかいな」見ているわけがなかった。「他は、どこかあるんか」答えに詰まった。

それまで黙っていた由理さんが口を開いた。「パパ、どないしたらええやろね」「受験まで実質三ヶ月ちょっとやな。諦めたらええんとちゃうか」そうも思い始めていたかも…「働けってこと?大学行きたいゆうてんよ。パパ、しっかり考えてえな」「どこの大学でもええ言うなら穴場やな」穴場?「どこあるん?パパ」由理さん、僕を代弁してくれている。「そやな、A大学のB学部、C大学のD学部…」僕を無視して、父隆司さんと娘由理さんの会話になっている。

しかも、父隆司さんの口から次々と大学名が出てくる。教育関係者なのか?まだ「何を」している人か聞いていない。ミツコお母さんは慣れているのか、わたし関係ない人、そばでゆったりとお茶を召し上がっている。その振る舞いが何か可笑しく、僕も目の前の父娘の熱い会話が他人事のように思えて面白がっていた。

熱いやりとりを邪魔していいものか、ちょっと迷ったが尋ねた。「凄いお詳しいですね。教育関係の仕事ですか?」父隆司でなく、由理さんが答えた。
「ちゃうちゃう、何でも読むねん。受験の本も好きやし、読むものないと電話帳読んどるよ」
笑った。電話帳を読んでる人に初めて会った。父隆司さんが「何を」しているかは、まだ答えてもらっていない。ミツコお母さん、お茶を飲む手を止めて「しんやくん、ゴメンな。風邪気味やから、先寝るわ」とダイニングを離れた。ダイニングには、父隆司、由理さん、僕の3人が残った。時計は11時を回っていた。

「浪人やからなあ〜。打つ手は限られるな」父隆司さんは言う。「うちやけどな。長女は勉強も嫌いやったし、地元の大学に入れた。兵庫から福岡に引っ越してきて、由理子は、できたばかりの学校に入れた。中学高校の成績は上位やった。これ利用せんと損や思うて、推薦で上智に入れた。弟は勉強できんかった。男やし将来食えんとあかん思うて、いろいろ調べて、推薦で日大の獣医学部に入れた」由理さんが3人きょうだいであることを初めて知った。その3人は、由理さんも含めてみな大学を「受かった」のではなく「入れられた」のだった。

「家は酒屋さんやったな。商売継ぐ気はないんか?」
この時は、全く家業を継ぐ気はなかった。友人たちは皆大学生になっていた。取り残された気持ちが強く、とにかく友人たちに追いつき、その後にいろいろ考えればいいと言うのが本音だった。

「大学行ってもええかもしれん。その後に考えるのも一つの手や」
今度は由理さんでなく、父隆司さんが本音を探ってくれた。その後に言葉が続いた。
「家業を継ぐのも立派な生き方や。どっちでもええ。言うたるわ。しんやくん、キミはどんなところに行っても生きていけるやっちゃ。偏差値の高い大学だろうが、低かろうがどっちゃでもええ。そこで好きなことしたらええ。ゼニかかるけどな。親に甘えたらええ。将来、儲けたらやな、親でなくてもええ、何らかの形で社会に返すのもありや。返したくなかったら死ぬまで持っとったらええ。相続税で国に盗まれるだけや。うわははは」

浪人生活に入って、初めて僕の心の中に土足で入ってきてくれた人がいた。自分でも何かよく分からないドロドロの状態には、綺麗に磨かれた革靴では役に立たない。土足で踏みつけられて、固まってくる「何か」を感じた。気持ちが良かった。爽やかだった。浪人の身では、推薦で「入れる」ところはない。行きたい大学も、今はない。自分で探してみよう。まるで勉強もしていないが、残された時間は少しある。

福岡の地で「凄い」人に会えた。

急で、図々しい申し出を受け入れてくれた由理さん、ミツコお母さん、チカコおばさん、ありがとうございます。ミーちゃん、相手してくれてありがとう。

この機会を、間接的にでも与えてくれた母ユウ子の顔が浮かんだ。
ありがとうございます。

父隆司さんをしっかり見つめ、由理さんの方には向かずに言った。
「あと三ヶ月、勉強します。自分でやってみます。なんか気持ちいいです」
「そうか、がんばってみい」
「受験終わったら、必ず報告に来ます。いいですか?」
「おう、楽しみにしとるで。うわははは」豪快に笑われた。

時計の針は夜中の1時過ぎを指していた。

この後も、父隆司さんと由理さんと僕の3人は、文学の話、映画の話、政治の話、経済の話・・・至福のときは続いた。

どこまでも話題が尽きなかった。いつまでも話していたかった。

朝日が当り始めた時計は6時を告げていた。

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