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No.211 旅はトラブル / Hawaiiハワイ1977年・初めての海外旅行(2)

No.211 旅はトラブル / Hawaiiハワイ1977年・初めての海外旅行(2)

(1977年2月23歳、僕の初めての海外旅行に至る経緯はNo.210に記しています)

「4泊6日」の文言が実に奇妙に感じたものだ。ハワイへの旅は10人ほどの団体で、到着後のオアフ島回遊バスツアー以外はフリーだった。父武と二人での旅も団体ツアーも、後にも先にもこの旅だけである。棚からぼたもちのような形での初めての海外旅行、高揚感も薄かったが、飛行場を出た僕の頬を撫で過ぎていった南国の乾いた爽風の一撃は大きかった。

当時、巷で言われていた「憧れのハワイ」2月の東京の寒空に吹く風と、飛行機で僅か7時間ちょっと、陽光をたっぷりと浴びて吹く南国ハワイの風は、あまりに違っていた。「うん、そりゃ『憧れる』人が多いのは納得だ」思わずひとり頷いていた。隣に立つ父武も同じように頷いた、ように見えた。

入国審査で「Sightseeing. 観光です」と答えたとおり、フラの衣装に身を包んだハワイアン美女から「アロハ!」と生花のレイをかけてもらったまま、バスでパールハーバー真珠湾に向かい、その夜ワイキキのホテルでのフラ&ファイヤーダンスショーまで、典型的な「初めてのハワイお登りさんコース」だった。ここは、父武と共に、日常を忘れさせる第一級の観光地の仕掛けに身を委ねた。

翌日のために「カウアイ島日帰り」オプショナルツアーを申し込んだ。ところが、初めての海外旅行、時差からくる疲れもあったのだろう、初日のこの夜、父武の具合が悪くなった。父は結局、短い旅程の二日間をホテルのベッドで過ごすことになってしまう。このハワイ旅行のあと、毎年のように海外ツアーに参加する父武を見ると、あたかも初めての海外旅行ハワイの仇討ちをしているような気もするのだった。

父武をホテルに残し、ひとりカウアイ島へのオプショナルツアーに参加した。10数組ほどのカップルは全て新婚さん。既婚の身となっていなかったら、気まずい思いを抱いていたであろう。カウアイ島観光の目玉「シダの洞窟」などをそれなりに楽しんだ。バスの最前列に一人座り、年配のガイドさんが日本語で語るハワイの歴史を真面目に聞いていた。

何気なく後部の座席を振り返ると、全カップルが「おやすみタイム」頭をぶつけ合いそうなお二人さんや、新郎の肩を枕に幸せそうに船を漕ぐ新婦さん…。前夜の保健体育が、今日の社会の勉強に影響したのかな…お疲れさまです。申し訳なかったのですが、ガイドさんの声がひどく可笑しく聞こえ始め、右手で口元の笑いを抑え続けたのでした。

翌日の午前中は、ワイキキの浜辺を一人歩き、海風を浴び、太陽に程よく温められた砂の感触を味わいはしたものの、一人きりで何時間でも陽光を楽しめるタイプでもなく、時間を持て余し始めた。小学生の頃から、海に行くより山で昆虫採集をするタイプだった。旅行前から、ハワイではサイクリングをしようと考えていた。

人で溢れるワイキキのメインロードをゆっくりと西に向かう。派手な色合いの服が並ぶ店や、土産物屋さんの先に、数台の自転車が店先に並んでいた。レンタサイクル屋さんだ。”Excuse me. Can you speak Japanese? “ 返ってきたのは”No.”である。「ワイキキはどこでも日本語で通じるよ」と、自信たっぷりに教えてくれたのは誰だったかな?

Tシャツの袖が窮屈そうな二の腕、長髪に日焼けした顔のお兄さんと、筆記を交えながらの英会話の始まりだ。英単語を書きながら、身振りも交えながらゆ〜っくりと話してくれるが、数字以外まるで分からない。日本円に換算すると、何千円とかのかなりの値段を言っているようだ。この時まで日本でもレンタサイクルを利用したことがなかった。観光地ってこんなものなのかな、わけも分からず、言いなりの値段を払って自転車を借りた。

ワイキキの西方、アラモアナショッピングセンターに向け、湿気のない南の島の風を切りペダルを踏み続ける。こちらの方面は観光地の匂いがせず、日本の地方都市を連想するも、乾いた風がそんな僕の思いを優しく否定して運び去る。ハワイに住みたいと本気で思った。

アメリカのハーフダラー、俗称ケネディコインと言えば、コインマジックで使用する硬貨のスタンダードである。この当時、日本のマジックショップでケネディコイン一枚400円ほどだった。一ドル240円で換算するとハーフダラー50セント120円ほど、入手できないかと通り道にあった銀行の前に自転車を止めて足を踏み入れた。

ここでも日本語はまるで通じない。” I would jike ~” の連発である。ケネディコインは、日本での記念硬貨に近い。日常生活の中では、滅多に使われないのだった。両替としては準備していないとは何とか分かった。そして、わがままな要望を言う僕の耳に届いたのは、金髪の女性銀行員の優しい” Just a moment.” の言葉だった。

見ていると、デスクワークをしている同僚に尋ねてくれている。何を尋ねているかは見当がついた。程なく、ハーフダラー2枚とアイゼンハワーが描かれた1ドル硬貨(この時初めて見た)を手にして、彼女は微笑みながら僕に差し出してくれた。僕は慌ててポケットから紙幣を取り出し、お礼も込めて2ドルの他に1ドル紙幣も渡そうとしたのだが、彼女は” No,no!”と言いながら1ドルは受け取らなかった。僕は誠意を込めて “Thank you.” とそれだけは伝え銀行を後にした。

レンタサイクル屋さんに自転車を返すと、日に焼けた顔のお兄さんは、にこやかに何やら言ってお金を渡してくれた。また筆記英会話だ。ようやく理解した。当時、日本ではクレジットカードは一般的ではなく僕もまだ持っていなかった。パスポートさえも携帯していなかった怪しげな日本人は、保証金を払って初めて自転車を借りられたのだった。

近所に住む松尾さんから譲って頂いたから実現した初めての海外旅行。ハワイでの二日目は、今も心に刻まれている忘れられない日の一つだ。ハワイでも一歩ワイキキを離れれば、日本語は通じない。

あの優しい女性銀行員にもう少しきちんとお礼を伝えたかった。レンタサイクルのあのお兄さんに、サーフィンか何かに命を賭けているのかかどうか、ハワイの暮らしぶりも聞いてみたかった。

学校での授業では感じることのなかった、沸々とした何かが湧き出てきていた。

・・・続く

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