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No.135 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(2)マミとの再会に向けて

No.135 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(2)マミとの再会に向けて

No.133の続きです)

Parco dei Principi Hotelの部屋に戻り、僕の携帯電話(ガラケー)から、大学時代の後輩マミに電話をかけてみた。あいにくイタリア語での留守番電話だったが、マミの声と思われたので、日本語で「元気かな、マミ?しんやだよ〜。今、ローマにいるよ。気が向いたら電話して〜」と、メッセージを残しておいた。

大学時代は若き友人たちにランチを中心に、よくご馳走していた。若き女性の友人とランチをするときは、むやみに勘ぐられるのを避けるために、必ず二人以上の女性と行っていた。マミと友人のヨーコとは、2、3回大学近くのレストランで一緒に食事をしていた。マミから連絡が来なければ、もう数日ローマを探索しようと思い始めていた。

ローマの中心街から離れ、ポルネーゼ公園の近くに立つParco dei Principi Hotelの付近は静寂に包まれお店もほとんどなく、ヨーロッパの都市の楽しみの一つの「夜の散歩」には適していなかった。ホテルでの食事の後、少しばかりの夜の散歩を楽しみ部屋に戻ると、マナーモードにしておいた携帯が震えた。「もしもし」と日本語で答えると「しんやさ〜ん」とマミの明るい元気な声が届いた。

「マミ、久しぶり〜、元気?」聞くとイタリア人の旦那さんとの間に、4歳の娘さんと2歳の息子さんがいて、ローマから1時間ほどの所に住んでいると言う。
「しんやさん、ローマのあと、どこ行くの?」
「何も決めてないよ、今回の旅は『傷心を癒す旅』かな」
「そうか〜、由理さん亡くなったんだよね。旦那のカルロと子ども二人、家族で、今日から旦那のカルロのお母さんの別荘に行くの。ピサの近くなんだけど、明日にでも遊びに来ない?」

カルロくんのお母さんはイタリア語しか話せないけど、カルロくんは英語も話すと言うことだった。マミの言葉に甘えて、義理の母ルイーザさんの別荘に2泊させてもらうことになった。マミたちはもうすぐ車でルイーザお母さんの所に向かうので、明日ピサのいくつか手前の駅「castiglioncello カスティリョンチェッロ」駅、午後1時過ぎに電車到着のホームで会うことになった。

「カスティリョンチェッロ」はイタリア西海岸沿いの保養地としても知られていて、斜塔で有名なピサから約40kmほどに位置しているとのことだった。マミからの「半分命令」のアドバイスは、当日朝ローマ駅で電車のチケットを購入するのは「控えろ」ではなく「やめろ」で、手数料はかかってもこれからならホテルに頼めとのことだった。

電話を切った後、すぐにホテルのフロントに行き、電車の時間を調べてもらいチケットの手配をしてもらった。フロントの中年男性の英語はえらくイタリア訛りが強いのか、またこちらは日本語のクセもある英語なのだろう、お互いに母音の強い英語だった。係のものが既に帰宅したから、明日の朝にチケットを渡すと言う。ここはイタリアだ、ちょっと嫌な予感もしたが、やむを得ず指示に従い部屋に戻った。思いがけず、マミと旧交を温めることになりそうだ、何のトラブルも無ければ。

翌朝、日の出前に目が覚めた。部屋のカーテンを細めに開けて外の様子を見ると、朝焼けが東の空に美しい。東京で宵っ張りの生活を送っている身には、滅多に遭遇しない彩りの景色だった。

窓枠の左手寄りと右手寄りに建物のシルエットが黒く、その間に大きな木のシルエットが手を広げるように枝を伸ばしている。地平線の下のまだ見えぬ陽の光の恵みを僕よりも早くに受けて、空に浮かぶ層雲はオレンジ色の彩りを空の青さの中に筆を払うように描いている。

まさにこれから日の出を迎えるようだ。上着を羽織りベランダに出ると、乾いた夏の終わりの朝の冷気が頬を撫でた。金属製の椅子に座ると一段と冷たく、思わず腰を浮かせた。しばらく東の空を見つめていると、一日の始まりを告げる太陽が地平線で切られた頭の一部を僕に見せた。オレンジ色の層雲は白さを増し続け、空もその青さを濃くしていった。

イタリアでなくとも世界中の何処にでもあるであろう、目の前に起きている晴れた日の当たり前の情景に、心動かされている自分がいて、東の空に向かいカメラのシャッターを2度3度切った。感傷的になってしまったが「傷心を癒す旅」だ、予想外の陽の光の恵みを浴びたことに感謝しつつ、もう一つの予想外の恵み、マミとの再会を思いながら再び真っ白いベッドの温もりの中に体を滑らせ入れた。

2時間も過ぎただろうか、ベッドを抜け出し僕にしては早い時間にホテルの朝食に向かった。パリのホテルヴェルネやプラザアテネ(No.124)ほどではなかったが、朝食の質も雰囲気も素晴らしいものだった。

朝食を済まし、ホテルのフロントに寄り、電車のチケットを確認したが、係の出勤がまだで、準備できていないと言う。おいおい、あと1時間ちょっとでチェックアウトして、ローマ駅に向かうけど大丈夫かいとの僕の心配の言葉に、力強く母音を響かせて「ノー・プロブレム、スィニョーレオノ !」ときた。その自信たっぷりの態度がかえって僕を不安にさせたのだが、とりあえず部屋に戻り荷物の整理を始めた。

荷物を持って再びフロントに行くと、先程の男性と違うフロントマンがスッと背筋を伸ばし立っていた。何はともあれ、まずチケットの件だ。尋ねるとニッコリうなづき、目の前にチケットが差し出された。今回の僕の心配は杞憂に終わったようだ。

チケットを確認して、自分の乗る電車は何番線から出るのかを聞くと、キョトンとしている。「What truck number~?」や「Which platform~?」など、英語の言い方を変えて何度か繰り返したが、どうにも通じないので諦めて、チェックアウトとタクシーの手配をお願いした。

ローマ発ピサ行き電車発車まで20分前、これも僕には珍しく余裕を持ってローマ駅に着いた。駅構内のチケット売り場を見て、マミの「半分命令」に感謝した。凄まじい行列で、なるほど、これでは20分あってもチケットの購入が危ぶまれる状況だった。

電車が何番線から発車するのかを確認のために電光掲示板を見て、ホテルでの自分の質問がいかに見当違いか理解した。あれは何と言うのだろう、出発プラットホーム番号を示す数字のプラスチック板がパタパタと回転して、どのプラットフォームから発車するのかを示し、電光掲示板の前に立つ群衆はそれを確認してから一斉に動き出すのだ。

自分の乗る電車の出発番線は直前にしか分からないのだ。出発番線があらかじめ決まっていて、滅多に変更のない日本の電車に慣れている身には、実に新鮮だったが、おそらくはローマ駅で目にしているこちらの方が、ターミナル駅の世界基準のような気がする。

ピサ行きの電車の発車時刻が近付いてきても、掲示板の「パタパタ」は動かない。不安に駆られ始まった出発時刻7分ほど前に、パタパタと板が回転を始め「16」の数字を示した。それを見た人々が、ざわめきを残しながら移動を始めた。

掲示板のある位置が5番線付近、16番線ってかなり遠いよな。トラベルケースの足の部分の車の具合が悪く、引きずるように動かさなければならず、焦りながらも「16」を目指した。う〜む、まだ大分ありそうだ。やはり「旅はトラブル」だなと、苦笑いしながら急ぎ足で歩いていると、小学3年生10歳くらいだろうか、肌黒く目が大きく愛らしい少年が近づいて来て、僕に話しかけてきた。

「ピサ?」
んっ、ピサ?いや僕の行き先はと考え「カスティリョンチェッロ」と答えると
少年はちょっと首を捻り、重ねて「ピサ?」と聞いてきた。
あ〜、そうか僕の乗る電車は確かにピサに向かう。
「ピサ、イエス」と答えると、

少年は、足の壊れたトラベルケースをその小さな体で運ぼうとした。
この感心なイタリアの少年は、遠く東洋の地から来たと思われる困っている男性を手助けしようとしているのかと、一瞬思った。

待てよ、この少年はオレのトラベルケースを盗もうとしているのかも知れない。
僕の頭は瞬時に計算を始めた。もし、盗もうとして別の方向に運んでも、この重さであれば、すぐに蹴飛ばすなりして捕まえられるな。少年が「良い子」であれば最低の計算結果をはじき出した。

この目がクリッとした可愛い少年は「良い子」なの?「悪い子」なの?

・・・続く

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