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No.241 戯れごと(6)「三種の神器」を中心に世の中の変わりようを語ってみよう

第二次世界大戦後、1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争は、日本国内に「特需」をもたらし産業復興の端緒の一つとなったと言われています。朝鮮戦争停戦の翌年の1954年(昭和29年)に生を受けて、1974年(昭和49年)に成人するまでの20年間、電化製品の「三種の神器」を中心に、僕の多感な時期の社会情勢を振り返ってみるのも、今後のnote記事を書く自分の一助になりそうです。

加えて、物心つく頃には携帯電話やインターネットなどの情報機器の存在が当たり前の世代の方たちにも、当時の雰囲気や現在との異同を語れば、案外面白がってもらえたりするかもしれません。少しでも時代が重なっている人には、昔日を思い出して微笑んでいただきたいものです。

数年前、中学校の同窓会の席でケンジくんがしみじみと言いました。「オレたちは昭和20年の終戦から10年も経っていない時に生まれているんだよなあ。いい時代だったかもしれないね」。経済評論家の堺屋太一氏が名付けた、いわゆる「団塊の世代(1947年〜1949年生まれ)」の少し下の年齢にあたります。

一般に、高度経済成長期と呼ばれるのが1955年(昭和30年)から始まり、オイルショック(石油危機)の起こる1973年(昭和48年)までと言われています。経済白書で「もはや戦後ではない」と謳われた1950年代後半「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」の3点が、電化製品の「三種の神器」として、急速に各家庭に普及していき、福島県いわき市の僕の実家も例外ではありませんでした。

白黒テレビが初めて実家の茶の間に置かれたのは、僕が5歳の頃でしょうか。おそらく、今の上皇でおられる平成天皇が、1959年(昭和34年)皇太子時代のご成婚の前後と思われます。上皇后美智子様が、明治以降初めて民間出身で皇室に入ることもあり「ミッチーブーム」が起きたこの時期、全国的に白黒テレビが急速に普及したことは良く知られています。僕は幼少時だったので「皇太子御成婚」はリアルタイムとしての実感が伴った思い出とはなり得てはいません。

小学4年生、1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックの開会式や閉会式は、家の白黒テレビで見ています。また、学校の白黒テレビの前でクラス全員と一緒に、男子マラソン(当時は女子マラソンは始まっていません)の最後20分程度を見た記憶が鮮明です。

金メダルに輝いたエチオピアの「走る哲人」アベベ・ビキラに遅れること数分、2番目に国立競技場に入ってきた円谷幸吉が、ゴール200メートル手前でイギリスのヒートリーに抜かれた時に起こったクラスのあちらこちらからあがった歓声悲鳴は、今でも耳に残っています。(3年後に円谷幸吉が自殺した時は悲しかったです。彼の遺書は、今でも涙なしでは読めない至高の文章と思っています)

僕より二回りほど年下の友人に、一槽式洗濯機と呼ばれる洗濯機の脱水方法の話をしたことがあり、その使い方が上手く伝わらず、絵の助けを借りました。なんとかイメージが伝わると、友人が「なんですか、それ!」と大笑いでした。

洗濯槽の隣に直径7、8cm長さ30cmほどでしょうか、固いゴムで作られた長い円柱棒が二つ、倒されたような状態で手回しハンドルで取り付けられていて、歯車のように逆方向に回るのです。二つの円柱棒の間に洗い上げた洗濯物を挟み、片側から入れてハンドルを回すと、洗濯物は絞られて、もう一方の側から「ノシイカ」のような状態で出てくるのです。この作業は中々に楽しく、小学生低学年の僕は、進んでこの家事の手伝いをしていました。

酒造業を営んでいた実家は、小売業も兼ねていたこともあり「氷冷蔵庫」が2台あったことを覚えています。高さは1mくらいで、上下に扉が二箇所、分厚い木材の外観で、保温のために内側にブリキと思われる金属が貼ってありました。氷の塊を上段に入れ、冷やしたいものを下段に入れて使用するのです。多くの古式の製品と同じように、この「氷冷蔵庫」も廃棄されてしまいましたが、取っておけば面白かったですね。

初めて、福島の実家の台所(キッチンというより『台所』がしっくりくる)のひと隅に「電気冷蔵庫」が置かれたのかはいつだったのか、はっきりとした記憶が残っていないのは、お釜から電気炊飯器、箒とはたきから電気掃除機、炭のコタツから電気コタツ、そろばんから電気計算機・・・次から次へと新しい電化製品が、いつの間にか家の様相を変えていったからなのでしょうか。

1957年(昭和32年)から1965年(昭和40年)まで、わずか8年の間に、白黒テレビ7.8%から95.0%、洗濯機20.2%から78.1%、冷蔵庫2.8%から68.7%との「三種の神器」の急速な普及率の推移をみてみると、「高度経済成長時代」とは「日本中の世帯が電化製品によって生活が激変した時代」とも言い換えることができるかもしれませんね。

1960年代半ばに言われた「新・三種の神器」カラーテレビ・クーラー・自動車の他にも、新顔の家電製品、耐久消費財の家庭への侵食は続きます。父武の新し物好きもあったでしょうか、僕が成人するまでの福島の実家の家電事情も、世間の例外ではなかったように思います。

電子レンジはかなり早い時期にあって、冷やご飯を温める時間の速さと、それまでの常識が覆される再加熱の方法に、家族みんなで「どうなっているんだろうねえ」と、ひとしきり不思議がった思い出が残っています。

小学校低学年の時でした。テープレコーダーで録音した自分の声を聞いた時が、おそらく、初めて「第三者としての自分」を具体的に感じた時だったでしょうか。自分ではない他の誰かの声としか思えず、可笑しくてたまらず、父武と一緒にゲタゲタと笑った声の残るあの思い出のテープは、どこぞに捨て去られたのでしょうか、それとも何処かの暗がりの片隅で見つけられる日を待っているのでしょうか。

小学校高学年の時、我が家にやってきたレコードプレイヤーには、何処か「大人の香り」を感じたのは、テレビでは味わえなかった映画館の暗闇の中で聴く音を連想したからのような気がします。レコード針の付いたアームを動かすと連動して回り始めるターンテーブル、限りなくそっとアームの針をレコードの一番外側に置く。程なく流れてくる楽器の音、日本語にはない響きの声、音の世界が広がっていく楽しさが嬉しかったです。

「三種の神器」をはじめとする家電製品・耐久消費財の広がりは、その周辺産業の拡大・発展に繋がりました。

1968年3月11日、CBSソニーレコード株式会社が設立されました。その後数年してアメリカをはじめとする海外のLPレコードの「オリジナル仕様盤」が発売されることになりました。その中にはボブ・ディランのデビューからの珠玉の8枚も含まれていたのです。

・・・続く


一槽式洗濯機
氷冷蔵庫

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