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暗い場所を抜け出して心地よいことをして生きていく

与えられたチャンスを逃した。信じていた人に裏切られた。ひどい環境で育った。辛い体験をした。

こういう経験を苦々しく大事に抱きしめている人がいる。それを言い訳にして次に進まない理由の筆頭に掲げて後生大事に保存する。まるで悲劇の主人公のように。

現実生活で理想の人生を歩んでいる人、歴史に名を残す傑作を生み出した人、楽しげな毎日を送っている人。

こういう人達はたいてい、ものすごい数の挑戦を繰り返している。

人それぞれ打たれ強さは違うから、他人と比べる必要はない。泣いたり落ち込んだり無気力になる期間が長い短いの個人差は必ずある。

だけど。

暗い場所に居ることを選び続けるか、目が眩みそうでも光のある場所へ1歩踏み出してみるかは、自分自身で決めること。

この世の中はびっくりするくらい急激な変化を見せてくれる。覚悟さえあれば年齢性別に関係なくいつでも動くことができる。

もちろん未成年だったり、家族の事情があったりで多少のブレーキがかかることもある。それは物質世界で肉体をもって生きる限りどうしてもつきまとう。

でもなにか出来ることがあるはず。今の場所で。すぐに。

歌を歌いたければ真夜中にささやき声でバスルームで歌ってもいい。カラオケボックスで歌って動画配信もできる。

モデルになりたければ自分の身体的特徴を活かした仕事を探してみることだってできる。手のモデル、ヘアーモデル、高齢者モデル。いろんな種類の活動があるはず。

結婚したくないけど子供が欲しければこれまたたくさんの選択肢がある。生まれた身体と心が一致していなければ、性別だって変えることができる世界に私達は生きている。

こんなにもバラエティ豊かな選択肢があちこちに転がってる時代を生きているのに、ズルズルと重い感情や記憶を引きずって暮らすなんてもったいない。

私自身はとても面倒くさがり屋。できることならなるべくゴロゴロして、好きなことだけを好きなときにやる暮らしが心地よくて仕方ない。経済的・精神的自立が成り立っている上での気まぐれ生活をとことん満喫している。

これからやりたいこともたくさんある。でも焦りはない。ターボエンジンが入ったときの自分自身の集中力を知っているから。

何かをやっていて少しでも違和感を感じたら、自分にブレーキをかけずに次の行動に移る。

テーブルには基本的に物を放置しないけれど作りかけ・描きかけなのに本が読みたくなったら場所を変えて読書する。

料理の写真を撮影するのは大好きだけど、キッチンテーブルが埋まっていたら、さくっと立ち食いだって構わない。

家の掃除をこまめにするけどルールはない。買物の回数も決めないし生活費の計算もしない。カレンダーに一応アルバイトの予定は書くけど疲れていたらすぐに日程を変えてもらう。

ものすごく頑張って自分を律して、世間一般の常識に合わせようとしている人のツイートやブログを立て続けに目にしたので、多様性の美学を伝えてみたくなり、日曜日の午後ソファに寝転んでこれを書いてみました。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2020.7.13 加筆修正転載)


Grazie 🎶