息づかい・肌触り・ゆらぎを排除したその先になにが残るだろうか?
シンプルなアイコン。
誰でもわかりやすいマーク。
母国語や知識の蓄積に
あまり左右されない
ユニバーサルデザイン。
これらがあちこちで
見られるようになった。
世界は距離を縮める。
地球ではない場所に
生息している生命体と
交流を計るための
コード信号のようなものを
研究している人々もいる。
シンプルな線や
ぺったりと均一に着色した
デジタルイラストも
様々な機材とアプリの恩恵で
気軽に作れるようになった。
そんな時代だからこそ
人々は逆行するような
人の手のぬくもりを求める。
デジタル画面上で
筆やペンのゆらぎを
再現する技術が
どんどん発達しているのは
やはり人間が求めるものが
体温や体感だからだと思う。
すっきり綺麗に片付いた
ホテルの1室のような空間では
落ち着かない、という人がいる。
日常生活の雑多なあれこれが
適度に散らばっている生活空間。
「物が思い出や記憶を放っている」
そう感じることがある。
もちろん感知アンテナを
持っているのは私自身。
その物体に思い入れの
かけらもない人が
同じモノを見てもなにも感じない。
手描きの線のゆらぎは
物に対して記憶を呼び起こす
人の感覚を刺激するようなもの。
普段の暮らしの中にも
私はゆらぎを感じていたい。
だからたまに
わざと物を少し雑に置く。
角を揃えずに。
さり気なくゆらぐ光景を
自作自演して楽しむ。
過ごしやすい秋の日差し。
楽しい1日をお過ごしください。
(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2022.10.7 転載)
Grazie 🎶