火縄銃の修繕師を取材したっけ/全4章の第1章
2018年に書いた、WEBライティングの原稿が出てきました。
火縄銃修繕師・内大輔さんを訪ねて、丸3日を取材に費やした記事です。
写真家の中野昭次は、学習研究社でよく一緒に取材をしたパートナーです。
彼の写真もお楽しみください。
全4章のうちの今回は、第1章を紹介します。
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1古来の武器が美しさを秘めている理由
ネジの機構とバネの機構が日本にもたらされたのは、火縄銃が伝来してのことだったという。
歴史の教科書で知る人も多いだろう。火縄銃は1543(天文12)年、薩摩藩(いまの鹿児島県)の種子島にポルトガル船の積み荷として、島民に伝えられたと記されている。
しかし、それ以前にすでに伝えられていたとする説もある。
歴史、とくに初源の歴史は、いつも曖昧模糊としている。
ここでは、火縄銃は種子島に伝来したとの説を至善として、話を進めよう。
木綿糸などを縒って縄を作り、硝石を吸収させたものを火縄と呼ぶ。火持ちがよく、古くから点火に使った。火縄によって火薬に着火し、玉(銃弾)を発射するので火縄銃と呼ぶ。
引き金を引くと火縄挟みが落下する。火皿の口薬(導火薬)に火縄の火が着火する。銃腔に装填された玉薬に引火して、玉は発射される。それが火縄銃の仕組みだ。
玉を筒に込める棒は、かるかと呼ばれる。
銃を支える銃床は台木と呼ばれる。
機関部はからくりと呼ばれる。ここにバネが使われている。
外部に松葉バネが取り付けられた、外からくり。
内部にゼンマイが取り付けられた、内からくり。
からくりの部品で有名なのは、火蓋だろうか。
「戦いの火蓋が切って落とされる」
と日本語の言い回しに、その単語は使われている。
火皿に不用意に、火縄の火が着火しないように、安全装置として蓋が付けられている。
火蓋という安全装置を外して、いつでも射撃できるように整えるのである。
まさに戦いの幕が切って落とされる、その初動の所作を日本人は火縄銃に見いだした。
火縄銃は、そのメカニズムにおいて、安全で合理的な設計を施された武器なのだ。
武とは、安全であること。理にかなった合理であること。何より不用意に発動させないこと。
そしていざ、その瞬間にこそ迷いなく発動させること。
日本人が武に求めたのは、刹那の一瞬に、全身全霊を込める命のほとばしりである。
武の精神の器が武器である。
武器は、だから、めったやたらと振り回す道具ではない。
見せ誇って、自我の傲慢を振りかざすのが武器なのではない。
だから優れた武器は、日本刀に、槍に、弓に、そして火縄銃にも静寂の美をたたえている。
内大輔は火縄銃の職人である。
手元の作業は素早い。
目釘を外す。かるかを抜く。銃身を台木から外す。機関部を分解する。
「これが日本に初めてもたらされたネジですよ」
銃身の後部に取り付けられた尾栓を見せてくれた。
万力に銃身を挟み、角を丸く落としたレンチに布を挟み、繊細に尾栓を外した。
「昔は、足万力で外していたんです」
500年前の合戦場に想いをはせる。
尾栓は銃身の後方を押さえている
鉄砲隊は、いま内大輔が素早くしかし繊細に尾栓を外すように、わらじばきの足の下に銃身を踏み込み、最善の状態の火縄銃に整えて、次なる火蓋を切ったのだ。
第2章に続く
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