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パリ逍遥遊 受胎告知

 受胎告知とは、御使ガブリエルが、マリアに聖母になることを告げることだ。聖書「ルカの福音書」第1章の以下の部分。

1. 六か月目に、御使(みつかい)ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
2. この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
3. 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
4. この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
5. すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
6. 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
7. 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
8. 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
9. そこでマリヤは御使(みつかい)に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
10. 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
11. あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
12. 神には、なんでもできないことはありません」。
13. そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

「受胎告知」をテーマにした絵画は、教会に行けば必ずといっていいほどお目にかかるし、美術館においてもまたしかりである。パリに滞在している間、教会や美術館でさまざまな芸術家の「受胎告知」を見てきた。パリ滞在中の旅における大きなテーマの一つとなっていた。なぜ「受胎告知」なのか?と考えると、マリアが御使ガブリエルから聞かされたのは、イエスを処女受胎したということだけでなく、マリアの使命を聞かされたのではないのかと思うからだ。聖書にはそんな記述はないが、先人たちの「受胎告知」を見ると、マリアだけでなく、全ての人にはこの世でやらなければいけない使命があるということを訴えているように見える。誰もが「受胎告知」のように使命があり、人生の過程において自分の使命を悟り、それを全うすることが出来たら、幸運なのだろう。生涯において、自分たちの前を通り過ぎる人、通り過ぎる街、通り過ぎる出来事、全てが置き土産を提供してくれ、自分のたちの成長の手助けをしてくれる。

これまさにEdge Effectだ!

 私が見てきた「受胎告知」をゴシック、ルネサンス、マニエラ、バロック、近代と順を追ってみてみよう。

ゴシック

 黄金地の豪華な装飾衝立に宗教画が描かれていたゴシック期の作品から見てみよう。フィレンチェのUffichi美術館だとシモーネ・マルティーニの「受胎告知」が有名だが、聖母マリアの衣装も御使ガブリエルの衣装も豪華絢爛だ。ガブリエルの衣装は、袖口には金の縁取りがあり、翼は孔雀の羽、信仰の証を表すオリーヴを手にしている。口からはラテン語の突出し「Ave gratia plena dominus tacum (おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる)」。聖母マリアは、青のローブをまとい、体を少しくねらせている。この体のくねりが「恭順」の表れと言われている。手は聖書が置かれている。絵の中心には、ケルビム(智天使)に囲まれた聖霊を表す白い鳩、その下には「純潔」を表す白いユリが置かれている。
 シモーネ・マルティーニと同時代の画家ジョット・ディ・ビンドーネ、彼の受胎告知は1305年にパドバのスクローヴェーニ礼拝堂を飾ったフレスコ画だ。このフレスコ画は、聖母マリアとイエス・キリストの生涯を描いたものである。礼拝堂東側の内陣を飾っている。スクローヴェーニ礼拝堂は、完全予約制で、フレスコ画を守る為、鑑賞時間も制限され、もちろん撮影禁止だ。

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ルネッサンス

 修道士フラ・アンジェリコがフィレンチェのサン・マルコ修道院で階段上部に書いたフレスコ画「受胎告知」が以下の写真だ。フラ・アンジェリコは、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から1982年に列福された一人で、ヨハネ・パウロ2世から、「アンジェリコの生涯はこの上なく高潔で、その絵画は神聖な美しさにあふれている。特に聖母マリアを描いた作品は最上級のもので人々に大きな影響を与えている」として、キリスト教芸術家の守護神として認定された。

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 次の写真は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」だ。彼の初期の作品と言われている。レオナルド・ダ・ヴィンチの聖母マリアは、冷静沈着、一糸乱れもない姿だ。鳩も光線もない。白昼堂々自然な光の中での出来事として描かれている。もちろん遠近法で書かれた庭がダ・ビンチらしい。

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 レオナルド・ダ・ヴィンチの師ヴェロッキオの工房で一緒だったのが「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」代表作のボッティチェリである。世界に冠たる美術館ウフィツィ(Galleria delgi Uffizi)美術館で最も人垣ができている作品だ。この二つの作品の対面にあるのがボッティチェリの受胎告知だ。聖母マリアが立って、純潔を意味するユリを受け取っている。

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マニエラ

 次は、スペインが誇る芸術家のひとり、エル・グレゴだ。彼の作風は、独特の世界観だ。マニエリスム後期の巨匠だ。ルネッサンスの巨匠たちが完成させた様式を「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と、ヴァザーリが命名した。システィーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」に見られるような、引き延ばした人体表現を変形させて用いた作品のこと、つまり特にミケランジェロの「マニエラ」を変形させて用いた作品のことを「マニエリスム」と呼ぶらしい。エル・グレゴと言えば、故郷倉敷の大原美術館にある「受胎告知」を思い出す。1596年、55歳の時の作品だ。マドリッドのトレド美術館にも彼の「受胎告知」が2点。残念ながら、プラド美術館は撮影が禁止されているため、写真がない。プラド美術館の受胎告知は、1570年と1596年の作品だ。祈祷台に向かってひざまずいている聖母マリアが、天使の来訪に驚き、読書を辞めた姿を描いている。御使ガブリエルの位置は、これまで聖母マリアと水平だったが、エル・グレゴは、たった今ガブリエルが、聖母マリアの前に降り立つところを描いている。また、昼間だった告知が夜になっているところが特徴だ。

 フィレンチェと同じく毛織物で富をなした国、ネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3か国)のフランドル派のヤン・ファン・エイクが完成させた聖バーフ大聖堂の「ヘントの祭壇画」(神秘の子羊の礼拝)は、12枚のパネルからなり、両端の8枚のパネル(翼)をたたむと外装に「受胎告知」が現れる。御使ガブリエルも聖母マリアも白色のローブに身を包んでいる。フランドル画家が描く「受胎告知」のカブリエルと聖母マリアは白色のローブが多い。 スペイン、プラド美術館のすぐ近くにあるティッセン=ボルネミッサ美術館(Museo De Thyssen Bornemisia)が所蔵するヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)の「受胎告知」のカブリエルも聖母マリアも白色のローブだ。
ヤン・ファン・エイクに続くフランドル派を代表するハンス・メムリンクの「受胎告知」が、グルーニング美術館(Groeningemuseum)にある。このカブリエルも聖母マリアも白色のローブだ。

バロック

 フランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)は、アントワープの聖母マリア大聖堂(Cathedral of Our Lady, Antwerp)に、「降架」を題材にした三連祭壇画を描いている。この絵こそが「フランダースの犬」の主人公のネロ少年が見たがっていたものだ。ルーベンスが新婚時代を過ごしたアントワープの家は、現在博物館となっているが、そこで「受胎告知」を見ることが出来る。彼は2点の受胎告知を残したが、1つはウィーン美術史美術館を飾り、もう一つはアントワープにある。ルーベンスの描く聖母マリアは、肉感的でふくよかだ。後世になってルーベンスが描いたようなふくよかな女性を「ルーベンス風」あるいは「ルーベンスの絵のようにふくよかな(Rubenesque)」と呼ぶことがある。ルーベンスが描く聖母マリアはラファエルが描く聖母マリアに通じるものがあると感じている。

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近代

 フランスの南マントン(MENTON)は、レモンが特産で、2月にはレモン祭りが開かれる。ここはジャン・コクトーが生まれた街でもある。ジャン・コクトーと言えば、学校で習った詩「私の耳の貝の殻、海の嘆きを悲しむ」を思い出す人も多いのではないだろうか。もちろん習ったのは堀口大學による訳文。原文は、「Mon oteille est un conguillage qui aime le brait de la mer」、このマントンの地で読まれたに違いない。

 詩人でもあり、画家、映画監督、小説家等々、多くの才能に恵まれた20世紀に活躍したジャン・コクトー、ここには彼の名を冠した美術館がある。そして「受胎告知」を見ることもできる。ガブリエルの包み込むような愛があふれた作品だ。ルネッサンス等に見られるような「受胎告知」の図案とは異なっている。
サルバドール・ダリ、自らを「天才」と称したシュルレアリストだ。彼の「受胎告知」が、バチカン美術館にある。1960年の作品だ。ガブリエルの顔も聖母マリアの顔も表情はない。

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