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パリ逍遥遊 瞬間

宗教、法律、哲学が長年にわたり浸透してきた地であり、文化・芸術の中心地でもあるパリは、ヨーロッパで生まれ育った人々でなくとも、人物や作品を通じて、真理に共感し、魂を震わせ、さらにはEdge Effect(境界線の効用)を享受するための、最高のベースキャンプである。

そう、まさにその通り、パリは「最高のベースキャンプ」だ。パリの市民憲章は、「Fluctuat nec mergitur、たゆたえど沈まず」。シテ島対岸のパリ市庁舎正面玄関には、大理石に刻まれた「Fluctuat nec mergitur」を拝むことが出来る。パリ、ヨーロッパに来る前は、文化・芸術とは程遠いところに身を置いていた私の文化・芸術に対する経験を少し語りたいと思う。

ルツブルク音楽祭2014、オーストリア・ザルツブルクで毎夏開催される音楽祭だ。ドイツ語でSalzburuger Festspieleで、第1回は1920年に開催されている。その後第2次世界大戦で中断したこともあるが、現在に至るまで続く世界最大の音楽祭の一つだ。ザルツブルク音楽祭2014は、リヒヤルト・シュトラウスの生誕150周年を記念して、「ばらの騎士」が上演された。1幕の終了間際、マルシャリンの恋人オクタビアンが若い女性のもとに去っていく未来を予感するシーン。マルシャン役のクラッシミラ・ストヤノヴァが遠くを見る背景に漂う郷愁、その間合いを心得る指揮者ヴェルザー・メスト、そこに音霊を残すウィーンフィルの演奏、そしてマルシャンに自己を投影し、胸が痛い観客。まさに四位一体となった瞬間。この瞬間に観客全員が共鳴するとき、時が止まり、沈黙の世界が立ち現れる。まさに静寂!ほんの一瞬だが、観客全員が呼吸を一(いつ)にする瞬間。呼吸をするとき、人は息を吸い、そして吐くが、吸って、吐く間、この「間」が観客全員同じになった瞬間だ。その瞬間は、武道では人が倒れる瞬間でもある。

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柄にも似合わず、私は大東流合気柔術を何年か稽古した。師事したのは、漫画「拳児」の先生のモデルだった佐川幸義先生だ。先生は合気の基本は「しこ」だと、言われたことがある。先生は「しこ」を日に1000回するとおっしゃったが、それを見たものは誰もいない。何かをつかみ取ろうと思えば、教えてもらうのではなく、自分でとことんまで考え、右往左往し、やり続けなければいけないと言われた。結局「しこ」は私に残された課題の一つとなっていた。スペインでフランメンコを鑑賞した時、腰の使い方一つで、あそこまで「妖艶さ」を出せるのかと感心したことがあったが、腰は「月」へんに「要(かなめ)」と書く。腰の使い方が動作の基本だということを今さながらわかったような気分になっていたころ、サッカーが趣味で、スペインのプロサッカーチームのHPを創り、選手一人一人のデータを分析して、その大家となっていた友達から「合気がわかったぞ」とSkypeのメッセージが来た。彼曰く、ポイントは「重心点を下に向かった最大速度で落とす。それは力を抜くことであり、体の支えを抜くことらしい。重心点が下に落ちていくときに力をぐっと入れると、その瞬間に地面に力がかかり、地面反力が得られるらしい。その時にプラスとして下半身を全部使って足の親指の先にかけること」らしい。これはまさに相撲の「しこ」の動きそのものだ。何かと何かがつながる瞬間、まさにその瞬間だ。何か課題があり、何年も解けないとき、全く関係ないものがつながって、わかる日が来ることがある。これも一つのイノベーション、Edge Effect(境界線の効用)かもしれない。ただ、その課題はいつも頭の片隅に置いておかなくてはいけない。日本の国技である相撲とフラメンコ、武道の基本がつながった瞬間だ。

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