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パリ逍遥遊 ヨーロッパ人を形成する3大要素

「風立ちぬ」(Le vent se lève、同名の宮崎駿作品もこれに由来する)で有名なフランスの詩人・思想家・評論家であるポール・ヴァレリーは、その著書「精神の危機」の中でヨーロッパ人を定義している。

ヴァレリーは、以下の3要素を有している人物はヨーロッパ人という枠組みで捉えても良いと唱えている。3要素とは、キリスト教に基づく宗教観、ローマ法に由来する法的素養、そして、ギリシャ哲学に端を発する哲学的論考を経験した人物だ。

ヨーロッパの人々は各自のアイデンディティから「自分はヨーロッパ人だ」とは言わないだろう(日本人が「自分はアジア人だ」と言わないのと同じだ)という前提はあるとして、現在拡大するヨーロッパ圏の先端であるトルコをヨーロッパと見做すか議論の余地がある点や、むしろロシアの方がヨーロッパに近いと思われる点などは、ヴァレリーの指摘は的を射ている。

パリ逍遥遊 自らの哲学では、醸造家しかり、画家しかり、音楽家しかり、彼らの創造物を味わう際に、その人の哲学にも多くの人が共鳴し、魂を震わせる。醸造家、画家、音楽家、あるいは彼らの作品を通して、人々は真理に近づきたいと願っている。という点が強調された。

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人物や作品を通じて、その中に内在する真理(イデアとかメタファーとでも訳そうか)に共感するには、共通言語の獲得が必要となる。すなわち、表面上は、見る・聞く・読む・感じると言った、いわば物理的接触を介した電気信号の伝達に過ぎない作品鑑賞は、その解釈にあたっては、真理に触れるための共通言語への理解が必要である。あたかもフランス語を理解するためには、フランス語の言語構造や文化的背景を理解する必要があるように。それが、ヨーロッパに関しては、上記の宗教、法律、および哲学なのだ。

これら3つの基礎があるため、ヨーロッパでは、表層では全く異なることを行なっているように見える各分野において、Yo-Yo-Ma が言うところのEdge Effect(境界線の効用)が機能する。たとえヨーロッパ人でなくとも、上記3要素を一つでも有する人であれば、Edge Effectや真理の共感を享受できるはずだ。

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それはさながら登山に似ている。ヒマラヤ山脈の世界最高峰、エベレストをネパール側から登っても中国側から登っても、目指す頂上は同じだ。様々なルートから登頂している登山家が何合目かのベースキャンプで落ち合い、そこに到るまでの経験を語り合うことで新たな何かが生まれ、それが頂上を目指す新たなインセンティブへとなるのである。そして、エベレストは中国人やネパール人だけのものではなく、世界中の登山愛好者の共通財産である。

宗教、法律、哲学が長年にわたり浸透してきた地であり、文化・芸術の中心地でもあるパリは、ヨーロッパで生まれ育った人々でなくとも、人物や作品を通じて、真理に共感し、魂を震わせ、さらにはEdge Effect(境界線の効用)を享受するための、最高のベースキャンプである。

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