#翻訳 ミラノデザインウィークのGoogleの展示レビュー
Framewebに、今年のミラノデザインウィークのGoogleの展示についての感想が空間に隠されたレイシズムといかに付き合うか、という提言を含んでいてとても面白かった。
原文
Google’s Milan show was emotionally painful – and that’s exactly what I liked about it
https://www.frameweb.com/news/google-a-space-for-being-milan-design-week
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Googleのミラノの展示は心が痛んだ―そして私が好きと反応したのもこれだった
今年のミラノデザインウィーク期間中のGoogleの展示は無邪気な状態だった。デザインチームとVPのアイヴィー・ロスは、ウェアラブルのアームバンドを使って、各スペースでの体の反応を計測し、そのデータからどのような居住環境が訪問者をよりくつろいだ気分にさせるかを判断しようとしていた。
しかし実際には、私が体験したのは社会経済的な条件付けの授業だった。
私の元来の出身地でもあるラテンアメリカでは、ポストコロニアリズムが顕在である。スペイン人とポルトガル人は人々にパントーンの色見本を残した。それは、(オホン)南アメリカと南アフリカに見られるような白と黒の分断ではなく、暗い肌の個人が美しいデザインスペースで買い物したり、ぶらぶらしたり、食べたり、ただいるということをさせないように、見えないラインを作った。
"A Space for Being(生きるための場所)"には3つの賢くデザインされたリビングがあり、Reddymade代表である、建築家Suchi Reddyとコラボレーションして作られた。アームバンドが十分に心拍数や皮膚の多孔性の計測時間をとれるよう、5分間ずつの滞在がラインナップとなっている。1つ目はニューメキシコ調の白昼夢のような空間で、暖かいブラウンのトーンと、素朴な壁、惜しみないウールが使われている。上から見た部屋の形はグーグルホームマックススピーカーの角のように柔らかく丸まっている。2つ目は、家具からウォールパネルまで、ブルーとピンクの海がしぶきをあげているようだ。好奇心旺盛な子どもにぴったりな本がダイニングテーブルに置かれ、、自由に閲覧できるようになっており、シトラスの香りが空中を漂っている。3つ目は、木製のアートワークと壁が、Paper Factorがプロデュースした魅力的でエレガントな大理石風の、紙片を混ぜ合わせた素材の中に覆われている。私は最初と最後に魅了され、2つ目は早く出たいなと思った。
しかし、几帳面で精密なデータが私がもっと快適な気分だったと指摘したのは、2つ目の部屋だったのだ。
なぜ私の体は、好みじゃないものに安らぎを感じたのだろうか?それは私の精神は私の生態データがしなかったことを知っていたからだ。混血のラテンアメリカの女性として、私は優雅に設計された空間に快適さを感じないよう条件付けされている。そこは、白人エリートが属する場所なのだ。私ではない。
さらに悲しいのは、私の物理的な反応が2つ目の部屋でアンテナを立てた理由だ。私は、自分の自称優雅な興味にかなった、魅力的だと思う装飾を見つけられなかったので、精神的にはチェックアウトしていたのに。私の脳内のばかばかしいいデザイン俗物は、この部屋は私より下だと考えていたのだ。
ロスはこれを聞いて驚いていた。アピールによると、彼女とチームは、威圧的ではない家具を選ぶのに慎重だった。Danish Brand Muutoは、長い間Googleデザインスタジオのムードボードの指導者で、この3つのセットのためにソファやランプを提供した。しかし私の反応は明らかに家具の美しさによるものではなかった。アムステルダムにあるFrameのオフィスラウンジの特徴は、コネクトモジュラー型のソファとアウトラインレザーアームチェアで、どちらもMuutoのものだ。私がスタッフミーティングの間、アームチェアに座ろうと突進するのには理由がある。私としては、このチェアは私のものなのだ。そこは、私的には、オフィスの全体の中で一番素晴らしく、よくできたスポットだ。できる事なら私のデスクまでもっていきたいくらいである。だから、犯人は家具の選択ではないことは間違いない。犯人は、Googleがびしっと神経美学的な実験によって証明したが、空間を構成するパーツの総体である。香りから音から、触れる部分まで。
パーソナライズされた結果は、ツアーの終わりにラボのようなブースの中に展示される。私の結果も円として視覚化され、ブルーとピンクバージョンの大変面白いインクのにじみが誕生した。重きいシミを最初と最後の部屋についていて、最初に短い瞬間の驚きが、次に穏やかな空白が後に続いている。私は自分の所有物のセンスについて嘘をつくこともできたが、データは嘘をつけない。
なぜ今日、空間をデザインすることがこんなに重要なのだろうか?なぜなら真の神経美学の戦場は、グーグルが提案するような家ではなく、物理的な小売りである。まだハイエンドなショップでは人種的なプロファイリングが行われることを考えてほしい。オフラー・ウィンフリーがチューリッヒでトム・フォードのハンドバッグを試そうとして、高級店の店員がそれをパーティーには”高すぎる”と考え拒否されように。この困惑的な事故は、中国人消費者がパリのプランタンにあるバレンシアガで叱責を受けたことも含む。いくつのオンラインショッピングの分析が、多くの贅沢な消費者が、実際にはばかばかしいほどに、サービスを受けていない社会的なニッチであることを明らかにしている。高級ブランドは、中進国へ拡大し、成熟した市場の人種的マイノリティーは販売全体のシェアをより拡大していることを主張し始めている。これは小売りの開発チームが心にとどめるべき心理的な問題だ。内面化された空間に対するレイシズムと付き合いながら、彼らのシグナルを熱狂的な人々に向けて、店を本当に生きるための場所にするためにはどうしたらよいのだろうか?
これらの隠れた思想は、私がSpazio Maiocchiを去った後に表面化した。私は今年のGoogleの展示での経験で、心が痛んでいたのだと気づいた。しかもまだ徐々にしみだしてくる。しかし、これはまさに私が好きと反応したものでもあるのだ。