娑婆に出る。
9月23日、24日とカフェの営業日でした。
この2日間が近づくにつれ
どうしようもない もやもやと
ストレスが日に日に強くなり
間にSaoriちゃんのセッションを挟んだことで
少し復活し、仕込み準備に没頭していました。
仕込み中に、ふと感じた。
没頭することって、私にとって『逃げ』でも
あったのか!と。
これまで、没頭してお料理をしていると
自分の中が整理されていく感じがしていたけれど
今回はそう思わなかった。
何も感じなくていいように没頭。
何にも向き合わなくていいように没頭。
そっかー。
逃げてたのかー。
でも、なんやかんや お料理することは楽しいので
『逃げ』を理解した上で没頭する。
そして迎えた23日。
実は急な日程変更があって この日になり、
私のうっかりミスでの日程変更だったのだけれど
この件についても『被害者意識』が出てきたことも認識。
23日は雨が強かったにも関わらず
大学時代の友人が、はるばる京都から来てくれ
それも学生時代ほとんど話したことがなく
ほんの数ヶ月前にFacebookで初めて連絡を取り合うようになった友人。
(だから会うのは20年ぶり!?)
その友人は3ヶ月ほど前に、驚くほどの大手術をしたばかり。
リハビリを経て先月退院し
ゆっくり療養している身だと知っていたから
2時間もかけて来てくれたことに
本当にびっくりしました。
そして元気そうな姿に安心しました。
雨のおかげでお客さまも少なく
その友人とゆっくり話ができました。
病気したことで立ち止まれたこと。
もう一度自分のこと、これから歩む道について
深く考える時間を持てたこと。
入院中に絶対的な安心感に包まれた経験をしたこと。
などを聞き、
ようやく退院となった時、
その友人は、知人にこう言われたそうです。
「やっと娑婆に出られるな」と。
(きっと比喩的な表現で冗談まじりの会話だったのだと思います)
『シャバに出る』って、
私は『刑務所から出てくる』ことだと思っていました。
でも、その友人は
シャバって何?どうゆう意味?と疑問に感じて
調べたそうです。(すごい!)
すると
娑婆って、仏教用語で
『苦しみに満ちた耐え忍ぶべき世界』
つまり、私たちが生きている『この世』
なのだそうです。
えっっっ?!
と、しばし自分の中でぐるぐる考えを巡らせていました。
苦しみのある この世に出てくること。
刑務所は、この世とは隔たりのある場所、
この世の苦しみとは関わりのない
言ってみれば『安全な場所』。
だから『シャバに出る』って言葉が広まったようなのです。
(捉え方によって違う解釈もあるようですが)
それは入院も同じだと友人は感じたそうです。
病院という『守られた安全な場所』だから絶対的な安心を感じたけれど、
退院して、そんな苦の場所に戻りたくないって
正直思ったと話していました。
言ってることは、すごくよくわかる。
病院で安心を感じたことも理解できる。
刑務所に戻りたくて、また犯罪を犯してしまう人がいることにも なんだか妙に納得がいった。
だけど、
本当にそうなのかな。
私もそう感じているのかな?
『苦しみに満ちた耐え忍ぶ世界』
このままストレートに受け取ったら
こんな世界で生きたくないっ!!!
って思うけれど
その『苦しみ』が
ただ、終わりのない耐え難いことに
もがき苦しむだけのようなことじゃなくて
不便さを経験するというか
それこそ、
自分の至らなさに直面して
さぁ、どうする?って
切磋琢磨していくような
向上していくことのような気がして
それを友人に
「でも(私は)、その大変なこととかを経験したくて産まれてきたんやと思う」って素直に伝えることができて
自分の中で感じたことを流さずに言語化できたこと、
相手に伝えられたこと、
何より
『経験したくて産まれてきた』をストンと自分の中に落とすことができたんじゃないかと
秋分の日に、私はやっと本当に
『娑婆に出てきた』ように感じました。
そして次の日の24日は
サプライズのような再会が。
大分県のキャンプ場で働いていたときに
仲良くなったお客さまが
この春、大阪に引っ越してこられ
わざわざ親子でカフェに来てくれたんです。
電車とバスを乗り継いで!
たった1度会っただけなのに、2年ぶりなのに、
その時一緒に遊んだ娘ちゃんは
「こんな遊びしたよね!あんなことしたよね!」って覚えてくれていて
なんともご褒美のような出来事でした。
このところ、人とあまり会わないようにしていたけれど
人と会うとやっぱり刺激になるし、学びになる。
人と会わないようにしていたこともまた、『逃げ』だったことに気づく。
人との関わりで、自分自身が露わになることを恐れて逃げていたんだな。
娑婆も良い世界なのだ!
次回は、カフェメニューの写真をちらっとご紹介しようと思います☺️🍴
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