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noteの発信が苦手なワケ。 〜自己開示の話〜

心のブロック(何かスッキリしていない、不自由さがあるもの)って・・・?

「どんな心のブロック(障壁)がある?」と聞かれた時、何が思い浮かぶ?

私はすぐに出てこなかったですが、Japanese yogaの夏未先生の心のヨガの動画を見ていたら、ああ、私は「自分の話をすること(自己開示)」に、ブロックがあるな、と気づいた。

noteで自分の思いを書いて発信したり、ご近所さんに自分の話をしたり。「自分が話すこと」に対して苦手意識というか、時々、貝のように、口を閉じようとする癖がある。ニコニコと聞くに徹する、みたいな。

それが自分の一面ではあるけれど、もう少し自分のことをオープンにもしたい。どれくらいオープンにしたらいいの?(みたいなことも、正解を求めている節はある。笑)

これまで、話すよりも聞く方が好き。と勝手に思ってきた。
受け止めることや寛容でいることには自信がある方だと思ってきたから。(実際はそうでもないことも多いので鍛えたい^^)

でもやっぱり自分から自己開示しないと、相手に自分のことは伝わらないよね。海外行く時もそうでしょう? 見た目はアジア人だから、I'm Miki, I'm Japanese. って言わないと国籍さえもわからない。


別に「自己開示力」なんて、上げなくてもいいよ。

でもさ、別に正解はないから、自分の話をしたくなきゃしなくていいよね。人それぞれ自由。自己開示せずにミステリアスな感じもいいじゃない?

でも残念ながら(?)今の自分は「自分を表現したい」という欲が、実はあることに薄々気づいている。

自分を表現したら、相手に自分のことが伝わるし、自分と合うなぁと思ってくれる人・興味関心が近い人・考え方が似ている人・面白がってくれる人がいたら、距離を近くに感じてくれるかもしれない。もっと深い話ができるかもしれない。

そんな繋がりが持てるかもしれないと思ったら、そっちの方が人生が豊かになる。貝みたいに口を閉じて悶々としてたところで、自分が豊かになる方向とは、きっと逆になるんだもの。

「自分の話をするのが苦手」の奥にあるもの

それでも苦手なのはなぜ・・・?ということで自己探求していこう。

なぜそんなに苦手なんだろう?
そこには、どんな自分の声があるの?

「相手の貴重な時間を自分の話で奪っちゃダメだ」
「これを話したら相手はどう思うだろう?どう感じるだろう?嫌な思いさせたら嫌だし、引かれたら嫌だな、嫌われたくないな」
「この表現で傷つく人がいるかもしれない」
(何の気なしに疎遠になってしまった人に対して「あの時のあの自分の発言が良くなかったかな」とか細かいことを気にするたちなのである。)

他には
「ちゃんとしないと」「迷惑かけちゃダメ」
「中立な立場でいないと」(対人関係や家族間においても、平和を愛してきたから、緩衝材のような役割でいることを意識することが多かった)
「いい人であらねば」

・・・うん、そんなものもあるなぁ。
書いていると息苦しくなってきます。笑

自分が思う自分の良くないところや腹黒いところを周りに見せたら引かれるんじゃないか、傷つけるんじゃないか、周りが離れていくんじゃないか。離れていく怖さ、そんなものもある。

でもそれって私が勝手に「「周りの人間が」こう思うだろう」って決めつけている。見定めている。周りを信じていない自分がいる。
それに気づくと悲しいね。

そして、そもそも「自分が」自分の良くないところや腹黒いところに蓋をしているよね。こんなの思っちゃいけない。完璧でいないと。
で、見ないフリ。

「等身大のへなちょこな自分」を愛でていく

でも一方で、完璧じゃない、ダメダメな自分が、周りにバレていない。というわけでもない。笑 

漏れ出てしまっている、と思っているし、それを知ってもなお、私と繋がっていてくれる、むしろ、ネタにしてくれて笑ってくれる人、ダメダメな部分を親しく思ってくれる人もいる。

「等身大の、ありのままの自分で、存在すること」は、だいぶできるようになってきたけれど、自分が思うレベルにはまだ到達していないし、私自身の希望?、願い、なんだと思う。

ダメな自分、ちゃんとしていられない自分、弱い自分、泣いちゃう自分、めんどくさがりで不精な自分も「愛でていく」。そんなことができれば、もっと息がしやすい。

こうやって真面目に考えちゃう自分でさえも、笑っちゃう、面白がれる、ってか。

自分で自分を受容できるようになる分、きっと、もっと、他人のことも受容できるのだと思うから。器の広い自分になるためには、自己受容を鍛えていくこと。簡単には鍛えられないからこそ、筋肉のように、鍛え続けていくもの?とも思う。

補足。ちなみに「ありのまま・自己受容」と、「現状維持・わがまま」とは違う。ありのままでいるための努力や、ありのままの自分を磨いていく変化と、周りへの配慮は大切にしたい。

「現在地」としてのこのnote

このnoteを見て、数年後に、「ああいう風に言ってた自分もいたなあ」って変われているといいよね。

今は瞬間的に「いい人であろうとする」自分がいるので、それが自分で自分を苦しくしてる。もっとオープンに、自分から開示していくことが上手になっているといいなって思います。

自分を開示していくためには、自分を知る必要がある。
自分を知ること。
知った自分を開示していく言葉にする力。

そんな力がこのnoteを書くことで鍛えられるのかもしれない。

このnoteを「公開」した後も、きっと心がざわざわする。
今そんなところにいる。

これからコーチングについて書いていく

というわけで少しずつ、私がハマっているコーチングにまつわることを、不器用ながらも、言葉にしていこうと思います。

見守ってくださる方、面白がってくださる方がいらっしゃれば、この上ない。

「何か変わりたい」と思いのある人。小さなことでも大きなことでも、それは自分にとっては大きな大切な思い。

そんな人に対して、私も力を発揮できるように、さらに自分の在り方やコーチングを磨いていきたいと思っています。

もう少ししたら、本格的にコーチングを受けてくださる人を募集していく予定です。


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