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読書日記:『私のことだま漂流記』山田詠美

こんなに一息に本を読み終えたのは、いつぶりだろう。昨日、ちくさ正文館で買ったうちの一冊を昼ごろ、布団に横になりながら、ごろんと読んでいるうちに、前のめりになり、そうして深夜、自室の椅子の上で読み終わった本の表紙を眺めている。

はじめのほうは、読みながら、山田詠美って性格悪そう〜っとおもいながら、ページをめくった。彼女の小説は好きだが、彼女のことが、好きかどうかは別の話だな、と。

しかし、結局なんだ、最後の方に進むにつれ、繊細でチャーミングな文学少女、気丈でいっぱしの女になりたいのに情に厚くて、そんな山田詠美が好きになって、かなしいことは何一つ書かれていない最後の章は、なぜだか随分泣けてしまった。

わたしの少女時代、もっとも触れた作家のひとりである彼女の性の描写を読んで、わたしのセックス観の多くは、彼女によってもたらされたものであることも知った。性についてはげしく明るくなにひとつ引け目を感じる必要のないことを、今のわたしが認識しているのは、思春期に彼女の小説を、読んでいたからだろう。

もう一度、はじめに戻って読み返すと、なんだか、そこも泣けてくる。詠美のしあわせを勝手に願うし、小説家になってくれて、ありがとう、と感謝する。

この本の中でたびたび登場する宇野千代さんのことを、わたしは知らない。すぐに宇野さんの本を、読もうとおもった。

書いている人の、肌触りのようなもの、小説のストーリーよりも、なによりも、わたしがそういうものを愛しているのも、結局は読んできた本たちがもたらしたものだろう。山田詠美は、当たり前だが、その上の世代が書いたものを愛し、また自分も、書いた。そんなふうに連綿と続いてきた、なにかについて、考える。

書きたいことはもっとあるような気がするが、ももちゃんが起きてキッチンでがちゃがちゃやっているのが気になって書けなくなったから、1番かっこいいとおもった場所を引用してここでやめる。

私は、男に守られるのは大好きだが、守ってやるのは、もっと好きなのだ。

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