「僕の父は母を殺した」 死刑と赦しについて
表紙には著者の全身像。痩身で二重瞼。美しかったという母親ゆずりだろうか、穏やかで端正な顔立ちから彼の苦悩を見出すことは困難だ。
著者の父は妻を殺害し、当時小学六年生だった著者を夜釣りに行こうと車に乗せ、殺人の擬装工作の目撃者に仕立て上げようと画策した。
著者が事実を知った時の戸惑い、怒り、憎しみ、苦悩。自暴自棄になり、非行を繰り返し、自殺を何度も試みた。
父からの手紙は破り捨てた。ある日、父親が死刑判決を下されたという新聞記事を読み、葛藤しながらも会いに行くという決心をする。
三年半ぶりに会った父は別人だと思うほど憔悴しきっていた。父は謝罪しながら泣き崩れ、著者も泣いた。
「許すことはできない。でも、恨みや憎しみを心に秘めることはできる。
苦しみ、悲しみ、恨み、憎しみ、そんな感情にのたうちまわりながら、やっとたどり着いた答えだ。
『終わらせる』
それは前に進むことでもあった。恨みや憎しみでいっぱいだったとき、僕の中で時間は止まっていた。
前に進もう。
僕が父さんを救おう。
死刑になんかさせない。」
父親は2011年に最高裁で死刑が確定し、拘置所に収監中である。
被害者遺族が望まない加害者の死刑。東野圭吾著「手紙」でもテーマになった加害者家族に対する差別と偏見。
そして真の「赦し」ということは何か。
非常に重い本書である。
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