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匿名での発信について考える ~なんのために匿名の場があるのか~

ここ数日、有名芸能人の自死の原因が匿名の人による誹謗中傷だったのではないか、という報道を見聞きする中で、少し考えたことを書いておこうと思う。


学校現場で「匿名」を使用したら起きたこと

私の行う講演や授業では双方向性を重視しているので、受講者がどんなに多かったとしても、状況が許す限り個別に何らかのリアクションを取ってもらうようにしている。その時に使うのはMentimeterやKahoot!、ロイロノートなどのサービスで、クイズの答えを回答したり、一言コメントをしてもらう。「正解」がある問題の時、私は心理的安全性を担保するために回答を「匿名」でしている。つまり、その回答が誰の回答なのか、自分以外の生徒にも、先生にも、講師の私にもわからない、という状態である。

これが、1クラス以下で私が教壇に立って直接話をしている状態で実施すると、一言コメントにはほとんど変な回答は出てこない。しかし、受講生が多く、かつ、ZoomやGoogle Meetなどの配信で行った場合、変な回答が出る確率が上がる。これは、①講師を身近に感じていない、②自分がその回答をしたことがばれる可能性が限りなくゼロになる、ことが要因であると思っている。ちなみに、学校の偏差値や進学実績に関わらず、変な回答は出る。

なぜこのようなことが起きるのか

私は根本的な原因は、人間の欲と、想像力の欠如ではないかと思っている。
少し変な回答をしてしまう生徒は匿名であったとしても「周りからのリアクション」を求めているように思う。ちょっと変な回答をして場を盛り上げたい、良く言えば「サービス精神が旺盛」なのではないか。(残念だが、盛り上げ方を間違えていることは言うまでもない)。
想像力の欠如は、「なぜこの授業を受けているのか」というところからはじまり、「なぜ匿名で回答することになっているのか」、「自分がこのコメントをすることでの授業に与える影響」、「真面目に受けたい生徒がどう思うのか」、「外部講師がどう思うのか」について考えが及んでいないのだと考える。

ニュースを見て思うこと

さて、この有名芸能人のニュースに戻る。誹謗中傷をした中に中高生がいたかどうかはわからない。でも、中高生の様子を見ていると、このニュースで話題になるようなことは「十分に起こり得ること」であることは明らかだ。そしてそれは年を重ねて大人になったからといって考えが変わるものでもなさそうだ。そもそもこのようなことについて考える機会がないからだ。

私たちにできること

もともと私たちは、社会に実名で存在している。でも何かを発信する時、匿名であることで発信がしやすいことがある。安心して発信できることがある。だから匿名で発信する機会が設けられているのだと思う。意味もなく「匿名の場」は生まれていないはずだ。まして人を傷つけるために「匿名の場」が生まれたわけではない。
匿名の場では「なぜ匿名に設定されているのか」について考えた上で、匿名であっても自分の発信に責任をもって行う、ということが求められているのだと思う。
学校現場においても「匿名」で発信するとはどのようなことなのか、それが必要なのはどのような場面なのか、匿名の空間の中でどのように考え振る舞うことが求められるのかについて、今一度考える必要があると思う。そして私自身も伝えていきたいと思う。

補足

これまで私の授業を受けてくれた生徒のみなさんや、呼んでいただいた学校さんに対して批判する意図は全くありません。色いろな学校さんで授業をさせていただく中で、私が感じたことを書いています。

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