「心理的安全性」がある場の前提条件
「心理的安全性」を「言いたいことを言える場」と定義すると、「共通認識」があり「共通言語」で話せるかどうかが前提条件なのではないか?
そんなことを思いました。
前提条件となる「共通認識」とは?
- ルール
- ゴール
少なくとも以上2つは共通認識としておかないと、「言いたいことを言える場」があっても機能しないと思います。
例えば、サッカー。
ルールを知らない人が11x11集まっても、試合にはなりません。ボールを手に持って走る人、殴って奪いに来る人など。ルールがない状態でただ言いたいこと、やりたいことをやっても収拾が尽きません。
交通ルール、法律など最低限のルールがあるからこそ、その範囲で自由な言動ができるもの。
事業と組織が成長し、メンバーの多様性が増していくと、暗黙知も増えてきます。この暗黙知をめんどくさがらずに言語化し、全メンバーが理解している状態を目指すのが先決です。
共通のルールを基礎に置いたら、次はゴール。どこを目指すのか。
県大会なのかインターハイなのか。試合に出るだけでいいのか。このゴールも明確にしておかないと、認識のズレが生じてきます。
「共通言語」で話せるか?
ルールやゴールの「共通認識」、もう1つの前提条件として「共通言語」で話せるかも重要です。
サッカーで例えると、初心者とプロが同じチームにいるとすると、専門用語が初心者には通じない可能性は高いです。
プロの人が説明するコミュニケーションコストが発生します。スピード感が損なわれてしまう。時間に余裕があればいいですが、時間がないってシチュエーションの方が多いですよね。
最低限の話しが通じるメンバーを集められるかどうか。つまり採用ってめっちゃ重要だと思います。
穴を埋める要因として、「やる気があるから」「いい人そうだから」みたいな理由で採用してしまうと、お互い不幸になってしまう。
求める人材像を明確にする、人事だけでなく事業メンバーにも面接してもらうなど、入口の採用をないがしろにしてはいけないです。
とはいえ、ルールに縛られてはいけない
ルールを守るのは大切ですが、思考停止して「決まっているから」とルールに縛られてしまうのが違います。
ルールを守ることが目的となってしまうと、新しいアイデアが生まれません。変化に対応できなくなってしまう。
個人の言動を守るはずのルールであるべきなのに、縛るためのルールになっては、本末転倒です。
最低限のルールと「余白」があるかどうか。
考える場、議論する場があるのが「心理的安全性」がある場と言えると思います。
これは「カルチャー・ガイド」と言いますか。ルールを作ったら、社員が業務を遂行する上で参照するガイドラインを整えるフェーズに進むのだと思います。