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具体的に生きる「屈辱」を引き受けるには「哲学」が必要なのではないか

親のようには絶対にならない
そう強く思って生きていた時期がある
思うにそれは若い頃
誰しも通るところなのかもとも思う
鳥のようにふわふわと飛んでいたい
「生活」に追われて生きてなどいたくない
なんなら大人になる前に死にたい

具体的に「生きる」ことが
それを考えることが
「屈辱」と思えるほどに

それでも自分が
生きることを選んだなら
そこから先にはきっと
「自分なりの哲学」が必要になって来るのだと思う

こう在りたい
こうなりたい
そのために何をすればいいか
どう生きればいいのか

何より重要なのは
選ぶのも組み立てるのも
自分がやったのだと
思えることなのではないか

今まさに
嵐の渦中にいる
娘を見ていて
そう考えている

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