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管理職へ:まずは共感からとか、心理的安全性とかどうでもいいんだよ

作:おがくずにゃんこ

本記事では仕事の話をする。

仕事の中でも、いわゆる「マネジメント職」といわれる管理職以上の立場で頑張っている方向けに、さらに頑張れというメッセージを送る。前提として、そういった役職の方を尊敬している(信頼はしていない)。そして似たような境遇の管理職は全国にたくさん居ると察する。

また管理職には一定数、パワハラや激詰めで部下を追い込むタイプがいる。こういった輩は論外で、まずは時代遅れの頭を更新する覚悟を持って出直してきてほしい。それかとっとと前線を離れ、霞でも食って辛うじて生きていろ。

そうではなく、時代に追従しようと頑張っていて、それでいてより立場が上の人からの要望に応えつつ、部下のマネジメントをしているような方々に対して送りたい。

このような記事を書こうと思った背景として、理由あって一時期仕事がしんどくなり、なんとかして現状の辛さと業務内容の変更を上司に相談したことがきっかけとなっている。タイミング悪く上司は数ヶ月前に別部署から異動してきた方で、相談前には一対一で話したことはほぼ無いという状態だった。

結果として、最初の面談で私は上司を信頼していいのか分からなくなった。メンタル的に追い詰められた状況だったこともあるが、そこから疑心暗鬼となり、限られた同期以外には本音を話さないようになった。

では上司への最初の相談が、私を無視したり突っぱねたりするような感じだったのかというと、そんなことはない。むしろ逆で、非常に共感を示してくれた

ただ非言語的な部分である態度のぎこちなさであったり、取ってつけたような「それは大変だね」や「何もできなくてごめんね」といった言葉が、それらが本心では無いことを告げていた。

ここからは私の邪推でしか無いが、こういう管理職になるタイミングでマネジメント研修やらハラスメント研修やらを受講するのだろう。そういったところで「部下から相談されたときは、まずは共感から入りましょう」みたいなことを言われるのだろう。


はっきり言おう。そんなのはクソくらえだ。

共感とか、されたところでどうにもならない。自分の権限ではどうにもならない現状を変えてほしいのだ。そのために上司は何をできるのか、もっと言えば「上司はどうしたいのか」について、本音で話してほしい。

そこで無理に取り繕われると、こちら側もバリアを張るしかなくなる。「こいつは仕事できないから評価下げるのも止むをえない」とか「こいつはあんまり追い詰めるとハラスメントとか言って訴えてきそうだから距離置いとこ」みたいに思われていないかと、実際にはそうではなくても勘繰ってしまう。


あとは、精神的に追い詰められているタイミングで「君はどうしたいの?」とこちらに委ねてきたり、「◯◯についても教えてほしいんだけど、どういう状況?」といきなり尋ねてこちらが言えないでいると「そこは答えられないのか」と勝手に話を進めないでほしい。

こっちは即断即決できる状況じゃ無いし、想定してなかった質問に対して的確に答えられる自信は無い。確かにビジネスにおいては「具体的なロードマップ」を示すことであったり、「すぐに取り組むことを」を決めるのは重要だ。しかし相談といったマネジメントに関しては、すぐクリアにしようとすること自体が悪手だ。何なら「本人がそう言ったからそう動いた」と後になって責任逃れでもしたいのかと勘ぐってしまう。

確かに、部下と話す時間を作るのは難しいことかもしれない。1週間で30分の時間を作るのもしんどいのかもしれない。しかし時間がないからといってなんでも即断即決の精神でマネジメントすると、メンタルが参っている状態での判断を是としてしまい、長期的に良くない方向へ向かってしまう。

私の場合は相談時間が30分ほどで、状況を説明した後「それは大変だね」という共感から入り、「それじゃあ来週まずは◯◯しようか」みたいな感じで話が進んでいった。
その相談での不信感は拭い去ることができず、以降月に数回「調子はどう?」とは言われるものの具体的な確認は無いまま日々が過ぎていった。

その結果どうなったか。状況は確かに変わったが、私がそれまで親しくしていた人とも疎遠になってしまった。結局私への配慮ではなく、上司にとって都合の良い采配にしたのではないかと邪推している。私は誰かに頼ることを諦め、言われたことだけをこなす歯車になった。


最近は心理的安全性という言葉もよく使われるようになった。

昔から「空気」を大事にするこの国らしい、都合の良い言葉だと思う。確かに話しやすい組織作りは大事だ。それが仕事のパフォーマンスにも影響するのだろう。

ただそれは、心理的安全性を追い求めた結果として到達する状態なのだろうか。私にはそうは思えない。部下や上司とも話そうという積極的な態度や、透明性を高めようという態度、ミスしても責めない・怒らない、寛容な態度、そういった一人ひとりの「態度の積み重ね」が良かった結果として得られるのではないだろうか。決して心理的安全性を推進する魔法の杖があるわけではない。


では自分は、どうしてほしかったのか。これは上司の性格次第なところもあるが、私の上司はゴリゴリ仕事できるタイプで、堂々としている。だからそのキャラクターを変えないでいて欲しかったというのは正直なところだ。「それは大変だね」なんて表面的な共感じゃなく、淡々と受け止め、「で、仕事はどう進めたい?俺は正直◯◯でいいと思う」という風に、考えていることを率直に言ってほしかった。たとえ私が昇給試験で不利であろうとも言ってほしかった。


これまでの話をまとめると、過度に気を使い、テンプレート通りの「まずは共感から」入ろうとする姿勢であったり、具体的なアクションをすぐに決める姿勢というのは、逆に信頼から遠ざける行動だと思う。

そうではなく、上司が持っているキャラクターを変に変える必要は全く無い。難しいことは分かっているが、キャラクターやスタンスは変えず、しかし時代が求める慣習や規範など変えるべき行動は変えていくことが求められるように思う。


私の話にもオチがある。その後上司とはあまり良くない関係が続いていたが、とある日の飲み会でその上司が本部長(私から見て上司の上司)への愚痴を言っていた。どうやら本部長は典型的なパ◯ハラ気質があるらしい。それを聞いて私も本部長にされたことを話したら、「君も大変だね〜」と少し打ち解けた。この時の「大変だね〜」は以前と違い、本心からだったように思う。

私は幸運なことに、会社の飲み会で関係が深まり、人間関係も少し改善した。何がどんな影響を与えるかわからないものだと実感したし、だからこそ全ての会話が一期一会の機会かもしれないと思いながら、過ごそうと思う。


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