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50代、当てにされ過ぎても、されなさ過ぎてもツライ

こんばんは
9坪ハウスの住人mikenekoです

昨年の誕生日に「人生最低だけど最高な日」
味わいました

何があったかと言うと
職員が充実した事で、自分の仕事に集中できるようになったのに

今度は遠慮され過ぎてるのか?
全く当てにしないのか
不調な職員を気遣って声をかけてもはっきり
答えず、ようやく「大丈夫です」と答えたかと
思ったら・・・

他の介護スタッフには仲良しモードで
お礼を言う態度にハラワタが煮えくり返って
爆発寸前になっていました

その為、何も知らない相方や息子から
「お誕生日おめでとう」とお祝いされても
胸中では怒りと寂しさで、嬉しさが
激減する事態で

その日の夜は怒りが収まらず眠る事も
できませんでした

この時に思ったのは
定年退職後にやる事がない、生きがいが
ないってこんな感じなんだろうなーって事

もしかしたら、私も気づかい過ぎて
知らず知らず人の顔を潰してたんだろうな、と
利用者を思い浮かべながら反省しました

その後、なんとか気持ちを立て直そうと
若い子の芽をつぶさない事も仕事の内
なんて切り替えて

時間に余裕ができた事や派遣の仕事で
当てにされながら介護をさせてもらえる事に
心底感謝をした次第です

あれから1年近く経ち、残業なしで
ストレスが少ないココロ穏やかな毎日を
過ごしましたが

ここ最近になって送迎も組まれないし
利用者が少なく手持ち無沙汰な日があった事で、とうとう気持ちが完全に萎えてしまいました

こんな事を書くと、慢性的な人手不足で
勤務する職員からしたら「かなり贅沢な悩み」
に映るかもしれませんが
当てにされ過ぎないのも相当ツライ事です

そんな中、利用者さんの機能訓練を円滑に
進める為にバイタルチェックと再検、誘導する間の業務について相談があったので

思い切って、気の遣われ過ぎに
困惑している事を打ち明けました

いくら頭では当てにされてないのではなく
気遣っての事と分かっていても
気持ちが萎えてしまっているのも知ってほしかったからです

やはり、管理者の考え方を説明されましたが
困惑している事も理解してくれたようで

大変な時に声をかけてくれたり、送迎に出させてもらえ、疲れたけど久しぶりに充実感を味わう事ができました

介護の仕事をしていると、よく利用者に洗濯物をたたむ事や食器を拭くこと等をお願いするのは、「あるある」ですが

やっぱり、いくつになっても役に立ちたい気持ちを大切にしたいからで

それは高齢者だけではなく、私達のように
還暦が近い者だって同じこと

特に50代は、当てにされ過ぎとされなさ過ぎ
両方のツラさを味わう世代なのかもしれません

これからも引き続き
若い子たちのやる気を削がない
ついつい頑張り過ぎて、自分を見失わない
気遣いが誤解にならないように、コミュニケーションをとりながら

ワークライフバランスを保ちたいと
決意を新たにしたできごとでした

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