本当はサマーになりたかった
TikTokで映画『(500日)のサマー』の音源が流行っている。エレベーターでサマーがトムに話しかける「I love the Smith.」の名シーン。
17歳でこの映画を観たとき、ときめきが脳天を突き抜けた。サマーになりたい!と思い、前髪ぱっつんのセミロングにして、ブルーのワンピースを着て、ザ・スミスを聴いた。
あの頃の私に話しかけられるなら「憧れるのはビジュアルだけにしなさい」と言いたい。「サマーに憧れなければ」と頭を抱えてしまうような思い出がいくつもある。(IKEAは最高のデートスポットだと知れたのはよかった。)
サマーは本当に魅力的だった。ファッションやズーイー・デシャネルの破壊的な可愛さはもちろん、何よりもその自由さが好きだった。サマーは自分にも他人にも一貫性なんて求めない。恋なんて信じない、と言っていたのに「運命を感じた」と平気で言ってしまう。「この間はこう言ってたのに!」と誰かが憤慨してもそんなのはお構いなしで、ただ自分が幸せになることだけを見つめている。その姿はため息が出るほど自由。だからトムはサマーに恋をして、苦しむ。
私もサマーに憧れてはみたけれど、結局どこまでいってもトムだった。どれだけ真似たところで、私は私以外にはなれない。そもそも、この映画が好きな時点で私はトム側の人間なのだ。
自分にない奔放さを持ち合わせたヒロインに焦がれるトム。自分ばかりが全てを覚えていて、小さな偶然にも意味を見出そうとするトム。頑張れば頑張るほど、空回りしてしまうトム。失恋しても、また新しい出会いの可能性に光を見出せるトム。
ちぇ、サマーになりたかったのに、と思いつつ、大人になってからこの映画を見返すと「トム、いいじゃん」と思える。情けなくても世界に一喜一憂できる素直さは、トムの魅力だ。私もそうありたい。トム、万歳。
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