無題55

ミズタマリ 3-3


「どうしたの? カイト。」

ぼんやりと空を眺めて歩いていたカイトに、香が声をかける。

「ううん、何でもないよ、この頃寒くなったなあって思って。」

カイトは首を寒そうに振りながら微笑んで、返事をした。

アキラが消えてから、 文字通りこの世界から消えてから、約100日が過ぎていた。
カイトは最初に感じた後ろめたさも少しずつ薄れて、 徐々に普通の生活に戻っている。

…いや、それは、普通ではないのかもしれない、 いなくなったアキラの代わりに、 沢山の友達とクラスでの楽しい時間を手に入れた。
それだけではなく、小林香と親しくするということも…

これは、全てアキラの痕跡にカイトが重なっただけなのは解かっている。
全て彼が自分の力で築き上げたものなのは、カイトは誰よりも知っている。
でも、それでも、彼はもう此処には居ない。見えない穴がある。
そこに、するりと代わりに入った自分は、ずるいと思ったが、 皆がそれを不思議に思わなくて、受け入れた以上続けるしかない。
罪悪感に襲われながら、日が経つにつれカイトは、その生活に慣れた。

それには、父から聞いた話で、 アキラが望んで行ったのだとカイト自身が納得した事と、 向こうの世界に居る輝也さんという大叔父が、心優しい人物で、 きっとアキラにも良くしてくれるだろうという事を、 父が誓って請け負ってくれたのが、多く影響した。
そして、また、それだけではなく、以前は一度も見た事がなかったが、 アキラの両親が仲良く二人で連れ立って外出するのを数度見て、 それはとても、アキラには悪いけれど、彼が居なくなった事であの二人には、平穏が生まれた気がした。
この世界でアキラが生まれていた記憶はもう無くて、あの事実を知らない、安らかで平穏な生活が続いていると思った。

カイトはいなくなったアキラの事を忘れるよう努力し、きっかけはアキラの人望だったものの、 後は自分の力で、運動も勉強も頑張り、友達との付き合いも深くなった。
そして、もう皆の笑顔は、アキラの影を通り抜け、真っ直ぐに自分の方を向いているのが、解かっていた。


そんな冬の日の夕方。
カイトは最近毎日、香と下校していた。

肩を抱くわけでもなく、手を繋ぐわけでもない。
だだ談笑しながら、ゆっくり並んで歩く。

[香]と呼び捨てにするのは何だか変な気持ちで、[カイト]と呼ばれるのは、それだけで嬉しくて、何だかくすぐったかった。

香の家が近くに見えて、カイトがそろそろまた明日と言おうと思った時、 急に香が真面目な顔で、静かに話しかけてきた。

「あのねカイト、は、話があるの。」

「何? 急にどうしたの。」

「えっと、あのね、コレ、今日の昼休みに出来たの、本当はクリスマスに渡そうと思ってたんだけど、 でも、さっき寒いって言ってたから、明日から使って。」

香は、頬を赤く染め、少し緊張した声でそう言って、抱えていた大きな鞄から何かの入った紙袋を取り出し、カイトに渡す。

「え?」

カイトは戸惑いながら、かなり皺くちゃの紙袋を受け取って香を見る。

「あの、本当は綺麗に包もうと思ってたけど、でも、あの、カイトが寒いなら、早く使って欲しいから。」

香は声を落として、自分の足先を見て、頬をそめた。

カイトは、促されるまま、紙袋をごそごそと開けた。
中からは柔らかな毛糸で編んだあたたかな緑色のマフラー。

「これを、俺に?」

意味は解かっているのに、嬉しくてそんな言葉しか言えない。

「うん、気に入ってくれれば良いんだけど、先月から編んだの、カイトの好きなグリーン系の毛糸、何軒もお店を回って探したのよ。」

香はカイトが嬉しそうな顔をしているので、自分も嬉しそうだ。
まるで、色づいた林檎のように頬が真っ赤になっている。

「先月から…」

カイトはその言葉を噛み締める。
それは、このマフラーがアキラの為ではなく、 カイトの為に作られたことを表す言葉だった。

「香、ありがとう。大切にするよ。」

照れも恥ずかしさも無く、喜びに震えて、カイトは衝動的に、香を抱きしめた。

「カ、カイト!」

香りは驚いて、声を上げ、その声にカイトは焦って彼女から離れる。

「ご、ゴメン… でもそれだけ嬉しかった。」

二人とも顔を赤くして、照れながら互いに別れを告げ、カイトは早速贈り物を嬉しそうに首に巻いて家路をたどる。

頬の熱さとは、また別のあたたかさが全身を包む。
自分は、ずっとこのまま、香と幸せになっていける。
そんな予感が、何故か足を進める度に、強くなっていった。

素直な気持ちで、日々を送れば、きっとうまくいくだろう、そう思っていた。

あの日まで…