無題55

ミズタマリ 4-1

「おい、ついたぞ。」

車の鍵を抜きながら、父の進吾は、そう後ろに声をかけた。
うとうととしていたカイトは、その声に驚いて、ハッと座りなおす。

「あら、寝ていたの、何も上にかけないで寒くなかった?」

助手席から降りようとしていた母の美奈子がカイトを心配してそう言う。

「あ、うん。大丈夫。上着、結構分厚いの着てきたから、」

カイトはそう答えながら、 そっと、自分の横に置いてある大きな鞄の存在を手で確かめる。
普段は使わない大きな布製の鞄。
その中に『ミズタマリ』の入っている箱が収まっているのを確認して、 カイトはそれを持って、静かに車から降りた。

「さすがに、こっちは寒さが違うなあ。」

周りを竹林で囲まれた自分の生家を眺めながら、 少し険しい顔で、父がそう呟いた。

「本当ね、雪がまだ降っていないのに寒さが違うわ、 でも、空気が澄んでいてとても美味しい。」

母が白い息をはきながら微笑んでそう言う。

カイトは今にも雪が降りそうな薄黒く曇る空を切ない想いで見上げる。
香が消えてからまだ幾日も過ぎていない、 それなのに自分が普通に生活して、 こうやって父の郷里に来ているのが、何故か信じられなかった。

「ほら、カイト、何ぼんやりしている、早くこっちに来なさい。」

進吾が手荷物を持って、美奈子と先に玄関に向かいながらそう言った。

「遠いところをよく来たね。今年はカイトが中学生になったし、去年お爺さんも亡くなって、 いつも家に居る圭吾達も家族で温泉に行ったから、 こんな何も無い田舎には誰も来ないのかと思っていたよ。」

出迎えた祖母が嬉しそうにカイトの顔を見て微笑む。

父も母もカイトも、その言葉に強張った笑顔で答え、挨拶を口にした。
父の一番上の兄で、祖母と同居している圭吾一家が旅行に行ったのは、 今、話を聞くまで知らなかったが、 本当は祖母の言うように、この年末年始は父の郷里に来るのではなく、 何年かぶりに、家族三人で自宅で正月を迎えるつもりだったのだ。

だがカイトと父の思惑で、戸惑う母を説得して急遽ここに来る事にした。
久々の観劇などを予定していた母は最初困惑していたが、 父が香の事件の事を口にして、 今は少し、カイトが家から、 あの町内から、離れたほうがいいと言うと、静かに納得した。

この地方の旧家のこの家は、カイトが暮らしている家よりずっと大きい。
行事の時だけ使う部屋や仏間や布団部屋、 そして、伯父の圭吾一家が普段使ってない部屋も沢山あった。
だが家こそ大きいが、建物は平成になってから建て直されたので、 古臭いところや使いづらいところなどはほとんど無く、 趣は無いものの、水周りなどは使いやすく住みやすくなっている。

ガラガラと大きな引き戸の立派な玄関を開けて入ると、 家の中はむっとするほど暖房が効いていて、カイトは祖母の手放しの歓迎を受けている間に顔がぽっぽと熱くなった。

一通り挨拶が済むと、車に土産や残りの荷物を取りに行く両親より先に、 カイトは祖母の家にあがって、 二階の毎年自分が休む部屋に荷物を置きにいく。
入った部屋は普段は使われていないので、とても冷たく、そこには、火のついていないストーブと、一年前にそれを使った日からずっと、今まで押入れにしまってあったと思われる座布団がカイトを待っていた。

カイトが毎年泊まる部屋は、 玄関とは向きが逆で、窓から父の車は見えない。
日が出ていれば景色も良くとても日当たりのいい部屋のはずなのだが、カーテンを開けても、今は窓から見えるのは鉛色の空だけ。
その空の下に、それよりも黒くにごった雲を固めたような石造りの蔵が見える。
母屋と違い、古臭くて、でも堅固なその蔵が、カイトの大叔父、輝也が、自ら『ミズタマリ』に旅立ったというその場所だった。

「待っててね、香。 俺、絶対助けるから。」

窓辺に立ってその蔵を睨みながら、カイトは誓うように呟く。

父の話では、あの蔵の中には無くなったノートの写しがあるはずなのだ。
はっきりと内容は覚えていないが、それを子供の時、父は何度か見たと言う。
あのノートと見た目も内容も少し違うらしいが、それは大叔父ではなく、祖父が書いた物だからだ。
祖父が大叔父の書いたノートに、失踪を伝えた新聞の記事を貼った後、自分自身を納得させる為に書いたような内容だったと父は言っていた。

祖父の書いたノート。
それは、無くなったあのノートに比べれば完璧な物では無いだろうが、だがそれを探し出して『ミズタマリ』の謎を解かなくては、
香を救うことは出来ない。

父は祖父に頼まれた『ミズタマリ』を保管していた責任上、謎を調べ上げて何とかすると言っていたが、カイトは、この問題は父ではなく、アキラに『ミズタマリ』の事を話した自分こそが、それを何とかしなければならないと、心に強く思っていた。