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黒海の記憶

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2022年9月の記事一覧

黒海の記憶#36番外/プリニウスの博物誌

椎間孔狭窄はデブなオヤジの老人病だそうで・・つらい。 連続歩行は10分くらいが限界になって…

勝鬨美樹
1年前
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黒海の記憶#35番外/オスマントルコとヴェネチア共和国の抗争

冬のヴェネチアが好きだ。 何年か前のことだが、早起きしたんでホテルのラウンジじゃなくて、…

勝鬨美樹
1年前
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黒海の記憶#34/黒海の喉元に残ったローマ帝国

拠点をローマからはるか離れた黒海の根元に移してもローマ帝国はオノレを"ローマ"と呼び続けた…

勝鬨美樹
1年前
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黒海の記憶#33/ローマが対峙した民族と国家という問題

アッリアノスが退官した半世紀後、アッシリア出身の風刺詩家ルキアノスが黒海周辺について以下…

勝鬨美樹
1年前
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黒海の記憶#32/フラウィオス・アッリアノスの黒海周航記

いつものようにローマ期における黒海とその周辺について旅しようとすると、なにしろ一次資料が…

勝鬨美樹
1年前
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黒海の記憶#31/ローマ人にとってのローマ

ローマはその身を半分に削ぐことで生き残った。それもオノレの出自であるイタリア半島を放棄す…

勝鬨美樹
1年前
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黒海の記憶#30/ローマの歯亡舌存#02

テオドシウス1世が帝国を我が子に分割統治させたのは、ディオクレティアヌス時代の四分割統治手法をそのまま踏襲したからだった。彼は我が子二人にローマを分け与えたわけ与えようとしたわけではない。そう考えていなかったはずだ。・・しかし現実問題として、イタリア半島/ローマとボスポラス海峡/コンスタンティノーブルの間は、当時すでに経済的な流通は希薄になっていた。バルカン半島より西は、従来からある農地政策(奴隷を使用する)ラティフンディアLatifundiumではなく(小作人を使用する)コ