黒海の記憶#30/ローマの歯亡舌存#02
テオドシウス1世が帝国を我が子に分割統治させたのは、ディオクレティアヌス時代の四分割統治手法をそのまま踏襲したからだった。彼は我が子二人にローマを分け与えたわけ与えようとしたわけではない。そう考えていなかったはずだ。・・しかし現実問題として、イタリア半島/ローマとボスポラス海峡/コンスタンティノーブルの間は、当時すでに経済的な流通は希薄になっていた。バルカン半島より西は、従来からある農地政策(奴隷を使用する)ラティフンディアLatifundiumではなく(小作人を使用する)コ